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郭貴勲裁判

(2003年4月28日更新)


郭貴勲裁判勝訴を祝う会をしました(広島)


 郭貴勲裁判 
 全面勝訴!

高裁判決 要旨
高裁判決 全文

上告するな!の電話・FAX・メール、政府に要請をしてくださった個人や団体のかたがた、
ご協力くださったかたがた、ほんとうにありがとうございました。
おかげさまで12月18日、政府は上告断念を正式表明しました。ニュース

郭貴勲さん、韓国の原爆被害者を救援する市民の会会長より、
支援の皆様へお礼を申し上げます。

まだしかし、渡日して手帳をとることができない在外被爆者の問題や、
現地での医療支援の問題など、
解決しなければならない問題は山積しています。
引き続き、皆様のご支援をよろしくお願いします。

(坂口厚生労働大臣・厚生労働省の上告断念理由 記者会見資料)
「在外被爆者訴訟・大阪高裁判決への対応について」
UPしました。


上告するな!の電話・FAX・メール、政府に要請をしてくださった
個人や団体のかたがた、ご協力くださったかたがた、
ほんとうにありがとうございました。

おかげさまで12月18日、政府は上告断念を正式表明しました。

郭貴勲さん、韓国の原爆被害者を救援する市民の会代表より、
支援の皆様へあつくお礼を申し上げます。

支援の皆様へのお礼のページへ




12月5日大阪高裁判決
全面勝訴!

高裁 判決要旨
高裁 判決全文


勝訴の喜びとお礼  郭貴勲

大阪高裁の郭貴勲さん勝訴判決に対する声明
「韓国原爆被害者協会」「米国原爆被爆者協会」「在ブラジル原爆被爆者協会」
より

在外被爆者に援護法適用を実現させる議員懇談会より

在韓被爆者渡日治療委員会広島より

全国被爆二世教職員の会

原水爆禁止日本協議会 談話

原水爆禁止広島県協議会

この間の取り組み
在韓被爆者・郭貴勲さんへの上告をやめて,即刻、在外被爆者に被爆者援護法を適用するよう求める電話・ファックス・メール攻勢のお願い(ご協力ありがとうございました。終了しました。)
ホームページに要請のメールを転送してくださったかたがた、ほんとうにありがとうございました。
あつくお礼をもうしあげます。


おかだだいさんのページ、在外被爆者裁判傍聴記に
郭裁判の報告があります。


阪南病院労働組合のホームページに報告集会の
ようすがのっています。


郭貴勲裁判勝訴判決後の在外被爆者、政府施策関連の動き (2001年6月1日〜2002年1月まで)
政府の検討会記録、施策変更情報等があります

政府の在外被爆者施策関連(2002年2月〜2002年9月まで)      
国会答弁、坂口大臣記者会見、

在外被爆者、政府施策関連の動き (2002年12月5日郭貴勲裁判高裁勝訴後)
支援団体声明、坂口大臣記者会見資料

当時、師範学校の学生だった郭貴勲(カクキフン)さんは、1944年の朝鮮人徴兵令により20歳で徴兵され、西部第二部隊に配属、朝鮮から広島へ連れて来られ、1945年8月6日、日本軍軍人として被爆させられました。現在韓国に在住、74歳。

〜郭さんの裁判〜
 郭さんは1998年5月に来日し,大阪府の病院に入院して被爆後障害の治療を受けたさい,大阪府から「被爆者健康手帳」を交付され,「健康管理手当(月額約3万4千円)」の支給が認められた。ところが7月に韓国に帰国すると,大阪府は手帳を失権させ,手当ての支給を打ち切る処分を行った。
 郭さんは1998年10月1日に,国と大阪府を相手に,処分取消と200万円の損害賠償を求める裁判を,大阪地裁に提訴した。


郭貴勲さんのプロフィール

1924年7月1日生まれ

全州師範学校卒業

東国大学付属高校校長をつとめる

1944年9月日本軍に召集される
(広島西部第2部隊幹部候補生)

1945年8月6日被爆

1967年韓国原爆被害者協会創立に参画
以後 副会長、会長歴任

1998年10月1日被爆者援護法裁判提訴

(郭貴勲さんの被爆体験は朝日新聞社刊「被爆韓国人」に詳しいです。
この本は郭貴勲さんが3人の著者の一人として、聞き取り、編集作業を行われたもので、韓国の原爆被害者問題を韓国人自身が早い時期に問題提起した本です。
裁判所にも資料として提出されました。)



第1審(大阪地裁)の流れ
提訴  1998年10月1日 
第1回口頭弁論  1998年11月18日 大阪地裁

第2回口頭弁論  1999年1月13日 大阪地裁

第3回口頭弁論  1999年3月12日 大阪地裁
 
 
第4回口頭弁論  1999年5月7日  大阪地裁

第5回口頭弁論  1999年7月9日  大阪地裁

第6回口頭弁論   1999年10月1日   大阪地裁
 

    第7回 証人採用を決定する裁判 1999年10月22日(金)
         倉本さん、森田さん証人採用される
       

    第8回口頭弁論 1999年11月12日(金) 大阪地裁
               倉本さん、森田さんの証人尋問
             倉本さん・森田さん陳述書   

    
    第9回口頭弁論 2000年2月9日  大阪地裁 

    第10回口頭弁論 2000年3月15日 大阪地裁 
                   (2000、10、24更新)

    原告の主張、これでわかる!
           原告第7準備書面(2000.5.13更新)

    第11回口頭弁論 2000年5月12日 大阪地裁

    第12回口頭弁論 2000年7月14日 大阪地裁
               (郭さん本人尋問)

    第13回口頭弁論 2000年10月6日 大阪地裁 
                (10月25日更新)

    結審 2000年12月22日 大阪地裁 
                

    判決  2001年 6月1日(金)13:10〜(午後1時10分)
          大阪地裁 806号法廷

全面勝訴!


第2審(大阪高裁)の流れ


日本政府、高裁に控訴 2001年6月15日

第1回弁論 2001年10月24日 大阪高裁第9民事部
        国、大阪府:控訴理由書陳述国側の控訴理由書

        郭さん:準備書面陳述(求釈明書第一準備書面

  −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
12月14日  郭さん:付帯控訴を提訴
            (一審で認められ
              なかった慰謝料請求を求める)
           12月14日付準備書面(2)
            (表1)「海外」と「適用」を規定に含む主な法令
 
  −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

第2回弁論 2001年12月21日 大阪高裁
         郭さん:準備書面陳述
              (控訴理由書に対する詳しい反論)
              証人申請(402号通達の違法性に
                     関連する立証)

第3回弁論  2002年2月5日 大阪高裁
        2月4日、郭さん側、準備書面を提出しました

弁護団は,2月5日の弁論で裁判所を忌避しました。その理由は,その日の弁論で,裁判所が争点を明確に整理して指摘しなかったことを主たる理由とするものです。忌避理由書要旨をアップしました。
平成14年(行タ)第3号 裁判官忌避申立事件
裁判官忌避申立理由書


裁判のようすをおかだだいさんが報告されています。  

その後、申し立ては却下されました。

全面勝訴!

高裁 判決要旨

         


支援の呼びかけ

リンク
阪南中央病院労働組合
 郭貴勲さん被爆者援護法裁判を支援するページ