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郭貴勲裁判 判決全文

2002年12月5日大阪高裁


平成14年12月5日判決言渡 同日原本領収 裁判所書記官

平成13年(行コ〉第58号 被爆者援護法上の被爆者たる地位確認等請求控訴事件
平成13年(行コ)第103号 同附帯控訴事件
(原審・大阪地方裁判所平成10年(行ウ)第60号)
平成14年2月5日 口頭弁論終結

 判  決

東京都千代田区霞ヶ関1丁目1番1号
控訴人(附帯被控訴人)  国
代表者法務大臣 森山眞弓
大阪市中央区大手前2-1-22 大阪府庁
控訴人(附帯被控訴人) 大阪府
代表者知事 斎藤房江
       両名指定代理人       渡邉千恵子
       同             友利英昭
       同             大濱寿美
       同             長田賢治
       同             今辻義嗣
控訴人(附帯被控訴人)国指定代理人
                     日原知己
       同             岡山幸平
       同             宮沢憲司
       同             原田真紀子
       同             金山和宏
       同             成井 進
控訴人(附帯被控訴人)大阪府指定代理人
                     西原次郎
       同             設楽広巳
大韓民国京畿道城南市盆唐区野塔洞334薔薇村801−404
(送達先)大阪府吹田市山田西2−9 A−1−303 松井義子方
被控訴人(附帯控訴人)           郭 貴勲
訴訟代理人弁護士             永嶋靖久
       同             足立修一
       同             小田幸児
       同             金井塚康弘
       同             新井邦弘
       同             安 由美
       同             太田健義


    主     文

1 本件控訴及び附帯控訴をいずれも棄却する。
2 控訴費用は控訴人(附帯被控訴人)らの負担とし、附帯控訴費用は被控
 訴人(附帯控訴人)の各負担とする。


 事実及ぴ理由

第1 当事者の求めた裁判

 1 控訴人(附帯被控訴人。以下「控訴人」という。らの控訴の趣旨
  (1)原判決中控訴人ら敗訴部分を取り消す。
  (2)被控訴人(附帯控訴人。以下「被控訴人」という。)の請求をいずれも棄却
     する。
  (3)訴訟費用は第1、2審とも被控訴人の負担とする。

 2 被控訴人の附帯控訴の趣旨
  (1)原判決主文4を取り消す。
   (2)控訴人国及ぴ同大阪府は、被控訴人に対し、連帯して200万円及ぴこれ
     に対する平成10年7月23日から支払ずみまで年5分の割合による金員を
     支払え。
   (3)(原判決主文3と選択的)
     控訴人国は、被控訴人に対し、17万0650円及び平成11年1月から
     平成15年5月まで毎月末日限り3万4130円を支払え。


第2 事案の概要

 1 本件事案の概要は、以下のとおり改めるほか、原判決の「事実及び理由の
「第2 事案の概要」(原判決3頁15行目から28頁15行目まで)中、控訴
人ら・被控訴人関係部分のとおりであるから、これを引用する(ただし、特に
ことわらない限り、被爆者援護法施行令については平成14年4月1日政令第
148号による改正前のもの、被爆者援護法施行規則については平成14年5
月31日厚生労働省令第74号による改正前のものをいう。)。

 2(1)原判決6頁10行目の「厚生事務次官通知」の次に「,以下「158号通
知」という。」を加える。

  (2)原判決14頁21行目の次に行を改めて以下のとおり加える。

「d 被爆者援護法の給付体系(医療給付と各種手当の支給との関係)
原爆医療法に基づく給付は、日本国内のみで受給し得るものであるから、
同法が在外被爆者を適用対象としていなかったことは明らかである。した
がって、同法の追加施策として制定された原爆特別措置法、これらを一本
化した被爆者援護法も同じく存外被爆者を適用対象とするものではない。
 また、被爆者援護法の制定経緯、健康管理手当の趣旨、同法の前文等に
よれば、被爆者に対する最も基本的な援護は医療給付である。各種手当の
支給は、医療給付だけでは十分でないと考えられる者に対する補完的、上
乗せ的な援護として位置づけられているにすぎない。したがって、医療給
付を受けることが全く予定されていない在外被爆者が各種手当の支給のみ
を受けるという事熊は、同法の法構造に沿わず、同法の給付体系を無視す
るものである。」

  (3)原判決27頁7行目から25行目までを次のとおり改める。

     「(4)国家賠償法上の違法性及ぴ損害
    (被控訴人の主張)

   ア402号通達の違法性

   (ア)402号通達は原爆特別措置法、同法施行規則に違反する。
 原爆特別措置法には、都道府県の区域を越えて、居住地を移した場合
に権利を喪失させるとの規定はない。この点に関し、昭和49年7月
原爆特別措置法施行規則の一部を改正する省令(昭和49年厚生省令
第27号)により同法施行規則(昭和43年厚生省令第34号)が改正
され、従前,特別手当受給権者は都道府県の区域を越えて居住地を移
すと失権するとされていたものが改められた。
 しかるに、当時の厚生省(現厚生労働省)は、上記規則改正の趣旨に
反する402号通達を発出し、改正前と同様の違法状態を存続させた。
このように、402号通達は、原爆特別措置法が規則に委任した範囲
を超えているもので、同法及に同法施行規則に違反する。
  (イ)402号通達は在韓被爆者の排除を意図したものである。
 孫振斗判決の第一審判決(福岡地裁昭和49年3月30日判決・行
集25巻3号209頁)は、わが国における居住関係がないから原爆
医療法の適用の要件を欠くという国の主張を排斥し、孫氏に対する原
爆医療法の適用を認めた。
 そこで、当時の厚生省(現厚生労働省)は、在韓被爆者について入口
で規制できないなら出口で規制しようとして402号通達を発出し、
日本国外の被爆者に対する同法の適用を否定しようと意図したもので
ある。

  (ウ)402号通達は被爆者援護法にも違反する。
402号通達は、被爆者援護法の施行に伴う158号通知により、
同法の下においても有効とされている。
 しかし、同法には「被爆者」が日本に居住も現在もしなくなった場
合に「被爆者」たる地位を喪失する旨の明文規定はなく、そのように
解釈すべき合理的理由もない。402号通達は、このような解釈を前
提とするもので同法に違反する。

  (エ)402号通達は、前記のとおり、憲法14条、25条1項、98条
2項のほか、B規約26条2条1、A規約2条2にも違反する。

  イ 控訴人らの故意(違法性の意識の深まり)

  (ア)402号通達立案当時(昭和49年7月)
 当時の厚生省(現厚生労働省)は、原爆2法には国籍要件がないこと
や居住地の変更により権利を喪失する旨の規定がないことを知りなが
ら、孫振斗判決の第一審判決を受けて、今後、在韓被爆者からの被爆
者健康手帳の交付申請が増加することを危惧し、原爆2法の在韓被爆
者への適用をできる限り制限するために402号通達を発出したもの
である。

  (イ)孫振斗判決当時(昭和53年3月)
  最高裁判所は、孫振斗判決において、原爆医療法には実質的に国家
補償的配慮が制度の根底にあり、あえて外国人に対しても同法を適用
することとしているのは、被爆による健康上の障害の特異性と重大性
のゆえに、その救済について内外人を区別すべきでないとしたものに
ほかならない旨を判示した。
 これを受けて、当時の厚生省(現厚生労働省)は、原爆2法について
被爆による健康上の障害の特異性と重大性に思いを馳せ、内外人を平
等とする趣旨の徹底が求められていることが容易に理解できたはずで
あるから、その意味でも402号通達の違法性はますます明らかなも
のとなった。

  (ウ)被爆者援護法制定当時(平成6年12月)
 その後、原爆2法が一本化されて、被爆者援護法が制定されたが、
そこでは、「国の責任」が明記され、原爆2法の国家補償的性格も一
層進められた。その間も、いったん被爆者健康手帳を取得した被爆者
が日本国外に出る場合の取扱いについては、前記のとおり、恣意的に
運用されてきた。これは、402号通達の下では権利喪失の確たる判
断基準を見い出すことができず、統一的、合理的な判断ができなかっ
たことによる。
 ここに至って、当時の厚生省(現厚生労働省)は、いったん被爆者健
康手帳を取得した被爆者が日本国外に出た場合の取扱いについて、法
令と402号通通達との間には齟齬があるということを十分認織できて
いたはずである。

  (エ)大阪府知事による失権の取扱い当時(平成1O年7月)
 被控訴人は、本件健康手帳を取得し、大阪府知事から健康管理手当
の支給認定を受けたのに、平成10年8月分からは402号通達に基
づく失権の取扱いを受けて、手当の支給を受けていない。
 控訴人らは、このような402号通達が、被爆者援護法が国籍を問
わず、被爆者の被った特殊の被害にかんがみ、被爆者の援護を講じる
という人道的目的を有することと真っ向から反することを容易に認識
できたはずである。

  (オ)以上によれば、控訴人らの違法行為は、単に過失に止まらず、在韓
被爆者の排除を意図したものであるから、故意と評価すべきである。

  ウ 控訴人らの国家賠償責任

 このように、控訴人らは、原爆2法及び被爆者援護法のほか憲法及び
国際人権規約にも違反する402号通達の違法性を認識しながら、これ
を立案し、放置し、大阪府知事に執行させた。のみならず、本件健康手
帳を失権とする旨の取扱いは、違法な402号通達に基づく違法な執行
であったことに加え、被爆者健康手帳の失権についてはなんら触れてい
ない402号通達にも違反する違法性の強いものであった。
 控訴人らの行為はいずれも国家賠償法上の違法行為であるから、被控
訴人に対する損害賠償責任を免れない。」

 (4)原判決28頁12行目から15行目まで次のとおり改める。

 「(控訴人らの主張)

 ア 原爆医療法、原爆特別措置法及ぴ被爆者援護法が、日本に居住も現在
もしない者に対しては適用されないという解釈と、この点を確認的に示
達している402号通達や158号通知はいずれも適法である。
 したがって、当時の厚生省(現厚生労働省)公衆衛生局長が402号通
達を立案し、維持し、同厚生事務次官が158号通知を発出し、また、
大阪府知事が被控訴人に対する健康管理手当を打ち切ったことには何ら
違法はない。

 イ 法令の解釈に関し、学説・判例等の見解が分かれ、そのいずれにも一
応の論拠が認められる場合に、公務員が一方の解釈を採つたときは、そ
れが結果的に違法であったとしても、公務員には国家賠償法1条1項の
過失があるとはいえない。
 このような観点からみると、原爆医療法、原爆特別措置法及び被爆者
援護法が日本に居住も現在もしない者に対しては適用されないとの解釈
は、その給付体系、立法者意志、被爆者が日本に居住又は現在すること
を前提とする各種規定の存在、法的性格等を根拠とする合理的な解釈で
あった。また、これらの法律においては在外被爆者に対する給付を予定
した規定が全く存在せず、これらの法律が在外被爆者にも適用されると
の判例・学説は本件訴訟以前にはなかったのである。
 したがって、仮に、402号通達が違法であるとしても、国の公務員

及び大阪府知事に国家賠償法1条1項の故意・過失がないことは明らか
である。


第3 当裁判所の判断

 1 被爆者援護法1条の「被爆者」が日本に居住も現在もしなくなることにより、
当然に「被爆者」たる地位を喪失するか否か(日本に居住又は現在しているこ
とは「被爆者」たる地位の効力存続要件であるか否か。)について判断する。

  (1)法文上の「被爆者」たる地位について

   ア 被爆者援護法上、「被爆者」たる要件は、同法1条各号のいずれかに該
当する者であること及び被爆者健康手帳の交付を受けたものであることの
2点である。日本に居住又は現在することは、法文上の要件とはされてい
ない。

   イ そして、被爆者援護法2条1項によれば、被爆者健康手帳の交付を受け
ようとする者は、居住地(居住地を有しないときは、その現在地とする。)
の都道府県知事にその旨申請しなければならない。したがって、被爆者健
康手帳の交付を受け、「被爆者」たる地位を取得するためには、少なくと
も申請の時点では日本に現在することを要することになる。

   ウ しかし、いったん被爆者健康手帳の交付を受けた後に同手帳の返還が必
要となるのは、実定法上「被爆者」が死亡した場合だけである(同法施行
規則8条〉。「被爆者」が日本に居住も現在もしなくなった場合、都道府
県知事が同手帳の返還を求め得る法文上の根拠はない。
 また、「被爆者」が日本に居住も現在もしなくなった場合に、当然に同
法の適用対象から外れるとか、「被爆者」たる地位を喪失する(喪失させる
ことができる。)とかいう旨の明文規定もない。

   エ したがって、被爆者援護法、同法施行規則の法文上は、日本に居住又は
現在している者のみをその適用対象とするとか、日本に居住又は現在する
ことが「被爆者」たる地位の効力存続要件であるとか解すべき直接の根拠
はないということになる。

 (2)解釈上の「被爆者」たる地位について

 控訴人らは、被爆者援護法は、解釈上、日本に居住又は現在する者のみを
その適用対象とし、日本に居住も現在もしなくなった者については、法律上
当然に「被爆者」たる地位を喪失する、すなわち、日本に居住又は現在する
ことは、「被爆者」たる地位にあることの効力発生要件であるのみならず効
力存続要件でもあると主張する。
 そこで、同法上、搾訴人らの主張する解釈が、同法の法的性格、立法者意
志、法律全体の法構造などに照らし、合理的ものとして是認できるかどう
かについて以下検討する。

  ア 行政法と属地主義の原則について

   (ア)控訴人らは、被爆者援護法は行政法であるところ、一般に行政法規は
日本国内おいてのみ効力を有するのが原則であるから、例外規定がない
限り日本に居住も現在もしていない者に対しては適用されないと主張す
る。

   (イ)確かに、強制調査や各種の規制など行政機関の公権力の行使に関わる
国法については、国家主権に由来する対他国家不干渉義務にかんがみ、
控訴人らが主張する属地主義の原則が妥当する。

   (ウ)しかし、被爆者援護法のようないわゆる給付行政に関する国法につい
ては、属地主義の原則を厳格に適用すべき必然性はない。むしろ、その
性質上、給付を受ける側の人的側面に着目し、属人主義的な立場(人的
範囲を限定する反面、場所的範囲を日本国内に限らない立場)を採用す
る法制にも十分な合理性が認められる。わが国の戦争被害に関する他の
補償立法の中には、明文規定がなくても国外での適用を認めている法制
例も見受けられるところである(遺族等援護法、戦傷病者特別援護法な
ど)

   (エ)以上によれぱ、被爆者援護法が行政法規であるがゆえに、属地主義の
原則が当然に妥当するとはいえない。ましてや、「被爆者」たる地位を
いったん適法・有効に取得した者が、日本に居住も現在もしなくなった
からといって、属地主義の原則を根拠に、当然にその地位を失うという
解釈を採ることはできないというべきである。

  イ 被爆者援護法の性格について

   (ア)控訴人らは、被爆者援護法は非拠出制の社会保障法であるから、わが
国の社会の構成員でない海外居住者には適用されないと主張する。

   (イ)確かに、一般論としては、非拠出制の社会保障制度は、それが社会連
帯や相互扶助の観念を基礎とし、社会構成員の税負担に依存しているが
ゆえに、その適用対象者をわが国社会の構成員たる者に限定するという
解釈も一応妥当する。しかし、個別具体的な社会保障制度において、ど
の範囲の者を適用対象とするかは、それぞれの制度における政策決定の
問題である。被爆者援護法の社会保障としての性格から演繹的に控訴人
らの主張する解釈を導くことは相当でない。

   (ウ)そして、被爆者援護法は原爆医療法をその前身とするところ、同法の
趣旨は、最高裁判所が、「原爆医療法は、被爆者の健康面に着目して公
費により必要な医療の給付をすることを中心とするものであって、その
点からみると、いわゆる社会保障法としての他の公的医療給付立法と同
様の性格をもつものであるということができる。しかしながら、被爆者
のみを対象として特に右立法がされた所以を理解するについては、原子
爆弾の被爆による健康上の障害がかつて例を見ない特異かつ深刻なもの
であることと並んで、かかる障害が遡れば戦争という国の行為によって
もたらされたものであり、しかも、被爆者の多くが今なお生活上一般の
戦争被害者よりも不安定な状態に置かれているという事実を見逃すこと
はできない。原爆医療法は、このような特殊の戦争被害について戦争遂
行主体であった国が自らの責任によりその救済をはかるという一面をも
有するものであり、その点では実質的に国家補償的配慮が制度の根底に
あることは、これを否定することができないのである」と判示するとお
りである(孫振斗判決)。
 また、被爆者援護法も前文をもうけて、「(前略)国の責任において、
原子爆弾の投下の結果として生じた放射能に起因する健康被害が他の戦
争被害とは異なる特殊の被害であることにかんがみ、高齢化の進行して
いる被爆者に対する保健、医療及び福祉にわたる総合的な援護対策を講
じ(中略)るため、この法律を制定する」と謳っている。
 これによれば、原爆医療法の性格はそのまま被爆者援護法に引き継が
れ、被爆者援護法も杜会保障と国家補償双方の性格を併有する特殊な立
法であると認めるのが相当である。

   (エ)以上のとおり、被爆者援護法の複合的な性格、とりわけ、同法が被爆
者が被った特殊の被害にかんがみ、一定の要件を満たせば、「被爆者」
の国籍も資力も問うことなく一律に援護を講じるという人道的目的の立
法であることにも照らすならば、その社会保障的性質のゆえをもって、
わが国に居住も現在もしていない者への適用を当然に排除するという解
釈を導くことは困難である。

   ウ 立法者意志について

   (ア)控訴人らは、被爆者援護法は、日本に居住も現在もしない者には適用
されないことを前提として国会で可決・成立されたから、日本に居住も
現在もしなくなった者については、当然に「被爆者」たる地位を喪失す
るとするのがその立法者意思であったと主張する。
a そこで検討するに、平成6年12月1日付け第131回国会衆議院
厚生委員会における岩佐恵美委員と谷修一政府委員とのやりとりや日
本共産党の修正案が否決された経緯は次のとおりである(甲第61号
証、乙第4号証、弁論の全趣旨)。

(a)まず、岩佐委員において、政府案では外国に居住する被爆者には
援護の措置が行われないことになっているが、国家補償に基づく被
爆者年金であれぱ外国に居住する者にも支給されることになると思
うがどうかと質した。
 これに対し、谷政府委員は、政府案に基づく給付が拠出を要件と
しない公的財源によって賄われることと他の制度との均衡を考慮す
る必要から、日本国内に居住する者を対象として手当を支給するこ
とを考えており、手当か年金かの名目のいかんを問わず、わが国の
主権の及ばない外国においては日本の国内法を適用することはでき
ないと考えていると答弁した。
(b)さらに、岩佐委員において、年金化すれば外国にいても支給でき
るという説が有力であり、被爆者は外国に居住していても外国人で
あっても原爆後遺障害の発生に変わりはないのだから、すべての被
爆者を援護するためにも年金支給とすきであると質した。
 これに対し、谷政府委員は、現在の手当は被爆者の健康状況に着
目して支給しているから、年金のように被爆者の健康状況を審査し
ない形で給付することは考えていないと答弁した。
(c)以上のやりとりを経て、岩佐委員は、政府案には、国家補償の理
念が明記されておらず、特別葬祭給付金の支給対象者を限定し、被
爆者年金を実現していないという問題点を残していると指摘した
上、これらの点をも盛り込んだ日本共産党の修正案について、戦争
の国家責任を明確にして謝罪と補償を行い、将来の不戦の誓いを込
めた国家補償法とするために提案すると趣旨説明をした。
 これに対し、鈴木俊一委員の反対討論は、日本共産党の修正案は、
国の戦争責任に基づく国家補償を前提としたものであり、他の戦争
犠牲者との均衡などの面で基本的な問題を含んだものであるから反
対するというものであった。

b 以上によれぱ、,谷政府委員が手当の支給は日本国内に居住する者を
対象とする旨を答弁した理由は、被爆者援護法が非拠出の社会保障法
的性格を有するがゆえに、わが国の主権の及ばない外国では国内法を
適用できないという一般論の域を出るものではない(他の制度との均
衡について具体酌に議論された形跡はない。)。
 また、同政府委員が被爆者年金の提案を消極に解したのも、海外の
居住者に給付することの当否もさることながら、被爆者の健康状態を
審査せずに一律に支給するという年金の形式の当否に着目したところ
によることがうかがわれる。

c さらに、被爆者援護法の審議経過をみると、国の戦争責任と国家補
償的配慮をどこまで法案に盛り込むかという点についての議論が繰り
返され(乙第3号証、第4号証、弁論の全趣旨)、日本共産党の修正案
の要点は、国の戦争責任を明確にし、国家補償的観点から国内外を問
わず、すべての被爆者に一律に年金を支給するところにあったことが
認められる。これに対する反対討論の主眼も、同法を国の戦争責任に
基づく国家補償として明確化することの是否に向けられていたことが
うかがわれる(ここでも他の戦争犠牲者との均衡について具体約に議
論された形跡はない。)。これによると、日本共産党の修正案が否決
された所以は、日本に居住も現在もしない者に対する同法の適用の当
否に着目されことによるものとはいい難い側面がある。

    d 以上によれぱ、被爆者援護法の立法過程においては、政府委員から
同法が非拠出の社会保障法的性格を有するがゆえに、わが国の主権の
及ばない外国では国内法の適用はないという一般論が開陳されてはい
るものの、少なくとも、本件で主たる争点とされているように、いっ
たん適法・有効に「被爆者」たる地位を取得した者が、その後、日本
に居住も現在もしなくなうることにより当然に「被爆者」たる地位を失
うかどうかという点については、およそ議論の外にあったというべき
である。平成6年12月6日付け第131回国会参議員厚生委員会に
おける竹村泰子委員と谷政府委員とのやりとりも(乙第22号証)、こ
の認定・判断を動かすものではない。
 したがって、控訴人ら指摘の質疑・答弁や日本共産党の修正案が否
決された経緯からだけでは、本件で主たる争点とされている点に関す
る立法者の意思が明らかであったとは認め難いというべきである。

  (イ)さらに、法律の解釈は、まず第一に法文の合理的解釈によるべきもの
であるから、立法者意志も、第一次的には当該法文に表わされた(明文
が置かれなかったことも含めて)ところによって探求されなければなら
ない。

     a そこで、この点について考えるに、まず、人の権利義務に直接関わ
る法律は、本来、疑義の残ることがないように明確に規定されるべき
ことが要請されるというべきである。そのこと自体は、いわゆる侵害
領域の立法であると給付領域の立法であるとを問わない。解釈で法律
の適用対象を画することになったり,いったん適法・有効に成立して
いる行政処分を当然に失効させたりすることを是とするならば、行政
による恣意的な運用、ひいては法葎による行政の原理にも悖るおそれ
なしとしないからである。

     b 本件についてこれを見ると、被爆者援護法の審議の過程においては、
海外に居住する被爆者に対する援護の内容についても質疑・答弁がな
されていた。しかも、少なくとも立法技術上は、日本に居住又は現在
する者のみを適用対象としたり、これを「被爆者」たる地位の効力存
続要件とする旨の明文規定を置いたりすることに格別の困難はなかっ
たはずである。法律の適用やいったん発生した効力の存続要件といっ
た当該立法の目的に関わる基本的な事柄について、専門的・技術的分
野の事項でもないのに、これを行政庁の裁量行為に委ねるべき合理的
理由も見い出すことはできない。社会保障立法の中には、受給権・受
給資格の要件として、日本国内に住所を有することを求めたり(児童
手当法4条1項)、受給権・受給資格の消滅理由として目本国内の住
所の喪失(児竜扶養手当法4条2項1号、特別児童扶養手当等の支給
に関する法律3条1号)を規定するものも存するのである。
 それにもかかわらず、このような点に関する明文規定を置かず、解
釈に委ねたというのであるならば、それは立法過程における不備とも
いうべきものであり、そこに立法者意思としてとらえるべき積極的意
味合いをもたせるのは相当ではないというべきである。
 このような観点からするならぱ、控訴人らが主張するように、明文
規定を置かなかった所以が、被爆者援護法が日本に居住も現在もしな
い者に適用されないことを当然の前提とするものであったとし、いっ
たん適法・有効に「被爆者」たる地位を取得した者が、その後、日本
に居住も現在もしなくなることによって、当然に「被爆者」たる地位
を失うということをもって合理的な立法者意志とみることは相当とは
いえない。

   (ウ)以上によれば、被爆者援護法の立法者意思は、本件で主たる争点とさ
れている点については明らかであるとはいえず、控訴人らの主張を直ち
に採用することはできない。
 なお、原爆2法の下では、日本に居住も現在もしない者に対しても、
別途、外交ルートを通じて各種検診事業や基金の拠出が実施されてきた
ことが認められる(乙第22号証、弁論の全趣旨)。しかし、そのこと自
体は、政府の法解釈に基づいて行政の立場からそのような取扱いがなさ
れてきたという以上の意味合いはなく、法文の文言に表わされた合理的
な立法者意思の探求には影響しないというべきである。このような行政
実務の取扱いも上記の認定・判断を動かすものではない。後記のとおり、
本訴第一審判決後に厚生労働省によつて実施される運びとなった各種の
在外被爆者支援事業についても同様である。
エ 被爆者援護法の法構造について

   (ア)被爆者健康手帳や各種認定の申請時

被爆者健康手帳の交付申請時にかかる被爆者援護法2条、各種手当の
支給の前提となる都道府県知事の認定に関する被爆者援護法及び同法施
行規則の各規定(医療特別手当につき同法24条2項、同法施行規則2
9条1項、特別手当につき同法25条2項、同法施行規則44条、原子
爆弾小頭症手当につき同法26条2項、同法施行規則48条、健康管理
手当につき同法27条2項、同法施行規則52条1項、保健手当につき
同法28条2項、同法施行規則56条1項)によれば、被爆者健康手帳
の交付を申請したり、各種手当支給の前提となる都道府県知事の認定を
申請したりする時点では、日本に居住又は現在することが当然の前提と
なる。
 しかし、これらの規定は、「被爆者」たる地位及び各種手当の受給権
を取得する際の問題であり、それ自体は、いったん取得した「被爆者」
たる地位を失わせる根拠となり得るものではない。

   (イ)各種給付の権利発生時

     a被爆者援護法第3章第2節の健康管理及び同第4節の各種手当の支
給の実施主体は、都道府県知事とされている。しかし、そのこと自体
は、援護の実施主体を定め(平成12年4月1日前は国の機関委任事
務とされていた。)、所定の援護と援護の実施主体とを連結するため
の管轄を定めた技術的規定であると認められる。したがって、受給者
が日本に居住又は現在していることを当然の前提とするものとはいえ
ない。
 また、「被爆者」が他の都道府県の区域に居住地を移したときの届
出義務(被爆者援護法施行令3条1項)についても、日本国内における
居住地を移動した際、管轄の混乱が生じることを避けるために規定さ
れた技術的規定と解することもできるから、これをもって直ちに失権
の根拠とすることはできない。その後、改正された被爆者援護法施行
令(平成14年4月1日政令第148号)、被爆者援護法施行規則(平
成14年5月31日厚生労働省令第74号)により、「被爆者」が国外
へ居住地を変更する際の届出義務や国内へ居住地を変更した際の届出
についても規定が設けられたが(公知の事実)、これをもって直ちに失
権の根拠とすることができないことは同断である。
 その他、医療特別手当に関する被爆者援護法施行規則32条や健康
保健手当に関する同法施行規則60条の届出義務等が、国外からの届
出を予定していない趣旨であるとしても、これらの届出をする際には
「被爆者」は日本に現在している必要があるものと解すれば足りる。
また、各種援護の中にはこのような届出義務が課されていない手当も
あるのであるから、いずれにせよこれらの規定がいったん適法・
有効に取得した「被爆者」たる地位を当然に失権させる根拠とはなり
得ないというべきである。

     b 被爆者援護法第3章第3節の医療給付中、同法10条の医療の給付
については、厚生大臣(現厚生労働大臣)がその指定した医療機関に委
託して、診察(同法2項1号)、薬剤または治療材料の支給(同項2号)、
医学的処置、手術及びその他の治療並びに施術(同項3号)、居宅にお
ける療養上の管理及びその療養に伴う世話その他の看護(同項4号)
病院又は診療所への入院及びその療養に伴う世話その他の看護(同項
5号〉、移送(同項6号)を給付する、こととされている。同法18条
の一般疾病医療費についても、都道府県知事により指定された被爆者
一般疾病医療機関において医療を受けた場合に、厚生大臣がその費用
の支給を行う、こととされている。
 これらの各給付については、日本に居住も現在もしない者に対する
給付は予定されていない。それは、給付の前提として、指定医療機関
及び被爆者一般疾病医療機関の指定及び監督の問題があり、国家主権
に由来する対他国家不干渉義務に反するおそれがあること、また、わ
が国以外ではその実施が事実上困難であることによるものと解され
る。
 しかし、「被爆者」たる地位に基づく権利は、医療給付の受給に尽
きるものではないから、医療給付が受けられないとの一事をもって「被
爆者」たる地位が失われるということにはならないというべきである。
 なお、同法17条、18条は、指定医療機関以外の者から医療を受
けた場合、あるいは、被爆者一般疾病医療機関以外の者から医療を受
けた場合にも、医療費の支給、一般疾病医療費の支給がなされること
を定めている。しかし、これは緊急その他やむを得ない場合の応急の
措置であるから、一般的に日本に居住も現在もしない「被爆者」に対
する医療給付が行われるぺきであるとの根拠になるものではない。

   (ウ)「被爆者」たる地位と各援護との関係

    a被爆者援護法は、1条各号の要件に該当する者で2条の規定に従い
被爆者健康手帳の交付を受けたものを「被爆者」と定義し、その「被
爆者」に対し、同法第3章に規定する各種の援護を実施する構造にな
っている。したがって、各援護は、「被爆者」であるが故に当然に実
施されるものではなく、「被爆者」が各援護に関する所定の要件を充
たす場合に実施されるものである。

 控訴人らは、「被爆者」が日本に居住又は現在することを予定した
規定があるのに、日本に居住も現在もしていない者に対する適用を予
定した規定がないことは、このような者がそもそも同法の適用対象に
は含まれていないことの何よりの証左であると主張する。
 確かに、各援護の主要部分について要件をおよそ充たし得ない者や
援護の実施がおよそ不可能な者には、そもそも「被爆者」たる地位そ
のものがない(あるいは当然に失う)とする解駅もできないではない。
 しかし、同法第3章の各援護の内容・性質はそれぞれ異なるもので、
国家主権による制限のほか、立法技術上の困難性や実施上の困難性な
どの観点からいかなる制限が生じるのか、個別的・具体的な考慮が必
要となる。「被爆者」たる地位と各援護を受け得る可能性とを必然的
に不可分一体のものとして解さなければならないものではなく、「被
爆者」たる地位にあっても、各種援護の内容・性質からその援護を事
実上実施できなくなる事態も観念し得るというべきである。
 また、これらの日本国内に居住又は現在することを前提とした規定
により、その当否はさておき、国外の「被爆者」が各援護の実施を受
けることができない事態が発生することがあり得るとしても、そのこ
と自体は、専ら「被爆者」側の事情や都合によるものである。同法上
の各援護を享受できない「被爆者」があるからといって、その者が「被
爆者」として同法上の権利主体たり得ないと解するのは本末転倒との
誹りを免れない。

     b 控訴人らは、被爆者援護法上、被爆者に対する最も基本的な援護は
医療給付であり、各種手当の支給は、それだけでは十分でないと考え
られる者に対する補完的、上乗せ的な援護であるから、医療給付を受
けることが全く予定されていない在外被爆者が各種手当の支給のみを
受けるという事態は、同法の給付体系を無視するものであると主張す
る。
 しかし、同法第3章に規定する各種の援護のうち、治療期間中に支
給されると明記されている手当は医療特別手当だけであり(同法24
条)、他の諸手当では治療中であることが要件とはなっていない。例
えば、保健手当(同法28条)を受給するためには、健康状態とは無関
係に爆心地から2キロメートル以内で被爆したことが証明できれぱ診
断書は必要とされていないし、特別手当(同法25条)は原爆症認定患
者がその治癒後にも受給し得る。原爆小頭症手当(同法26条)はその
旨診断されれば治療の要否を問わずに支給されるし、特別葬祭給付金
(同法33条)に至っては医療行為とは全く無関係に支給される性格の
ものである。
 健康管理手当(同法27条)についてみても、省令で定める障害を伴
う疾病にかかっている者に対して支給するところから、指定医の健康
診断書は必要とされてはいるけれども(同法施行規則51条、52条)、
医療給付を前提としているものではない。その趣旨は、放射能との関
連性を明確に否定できない疾病にかかっている者について、日常十分
に健康上の注意を払う必要があるため、このような健康管理に必要な
出費に充てることを給村の本旨とするものである。そうであるならば,
当該要件を充たす「被爆者」にとっては、まずは医療給付を受けるこ
とが望ましいけれども、日本に居住も現在もしないためにそれが叶わ
なくとも、少なくとも健康管理手当を受給し、日常の健康管理に努め
る意義を否定することはできない。
「被爆者」が、日本に居住も現在もしないことにより、事実上、医
療給付を受けられない状況にあるからといって、このことは健康管理
手当の支給を否定する根拠とはならないというべきである。

      C 控訴人らは、原爆医療法に基づく医療給付が日本国内のみで受給し
得るものであったところから、同法の追加支援策として制定された原
爆特別措置法やこれら原爆2法を一本化した被爆者援護法についても
在外被爆者を適用対象とするものではないと主張する。
 確かに、原爆医療法においては、医療という給付の性質上、日本に
居住も現在もしない者に対する支給は予定されていなかった。原爆特
別措置法において追加された各種手当の給付についても、行政実務に
おいては同様の取扱いがなされてきた(乙第22号証、第25号証の
2、弁論の全趣旨)。
 しかし、被爆者援護法においては、被爆後50年を迎えるに当たり、
@その前文に「国の責任において」という文言が明記され、A各
種手当の所得制限規定が全廃され、B 原爆死没者に対する特別葬祭
給付金が新設されるなど、原爆2法の国家補償的性格と人道的目的を
より強化する方向で一本化されたものと見るのが相当である。
 そうであるならぱ、被爆者援護法に原爆2法を継受した経緯がある
からといって、従前の取扱いに拘泥しなければならないものではない。
少なくとも、その経緯が、いったん適法・有効に「被爆者」たる地位
を取得した者について、日本に居住も現在もしなくなることにより当
然にその地位を失うと解すべき合理的理由になるものとはいえない。

     (エ)以上によれぱ、被爆者援護法の各種規定も、控訴人らの主張を裏付け
るべき根拠とはなり得ないというべきである。

オ 孫振斗判決について

(ア)控訴人らは、最高裁判所は、孫振斗判決において、日本に居住も現在
もしない者に対しては原爆医療法の適用がないことを明らかにしてお
り、これは被爆者援護法においても同様であると主張する。
 しかし、孫振斗判決は、日本に不法入国した在韓被爆者について、現
在する理由のいかんを問わず、原爆医療法の適用があると判断した事案
であり、「被爆者であってわが国内に現在する者である限りは」との判
示もその限りのものである。これを反対解釈して、わが国に現在しない
被爆者には原爆医療法の適用がないと判断したということはできない。
 また、「不法入国した被爆者が短期間しか同法の給付を受けられない
場合があるとしても」との説示についても、行政庁の主張を前提として
もという仮定の表現であるし、そもそも、性質上、原爆医療法上の医療
給付を日本に居住も現在もしない者に実施することはできないのである
から、いずれにせよ、その説示をもって、被爆者援護法上日本に居住
も現在もしなくなることによって当然に「被爆者」たる地位を失うとい
う解釈の根拠とすることはできない。

   (イ)控訴人らの主張は採用できないものというべきである。

  カ 本訴第一審判決後の施策について

    (ア)厚生労働省は、平成13年12月、厚生労働大臣が主宰する「在外被
爆者に対する検討会」の報告を踏まえ、次の措置を講じるとともに、被
爆者健康手帳等在外被爆者の取扱いに関して、法令上の規定の整備を行
うこととしたことが認められる(甲第82号証ないし第100号証、乙
第23号証の1ないし6、第25号証の1、2。その後、被爆者援護法
施行令〔平成14年4月1日政令第148号〕、同施行規則〔平成14
年5月31日厚生労働省令第74号〕により「被爆者」が海外に移住す
る場合の届出規定等が整備された〔公知の事実〕。)。
a概ね3年以内にすべての在外被爆者が渡日して被爆者健康手帳の発
行を受けることができることとし、渡日できない者に対しても申請に
基づき被爆の事実確認を行うこと

   b 在外被爆者に対する支援事業として、@来日を希望する者に対す
る事前の受入準備や行政期間との連絡調整、A経済的事情から来日
が困難である者への旅費等の補助、B滞在中の医療機関のあっせん、
各種手続等に関する相談、C離日に係る各種手続等に関する連絡調
整、D帰国後における各種の情報提供、相談、E 原爆医療に関す
る医師等の研修受入、医師の派遣等、F その他在外被爆者の健康保
持のための事業等を実施すること
  
 (イ)しかし、これらの措置には、「在外被爆昔に関する検討会」が、人道
上の見地から在外被爆者の援護に関して今後どのような施策を講じるこ
とができるかを検討した結果に基づき、厚生労働省が従前の行政実務を
前提として、新たな施策を打ち出したものという以上の意味合いはない。
これらの事情をもって、被爆者援護法上、日本に居住も現在もしなくな
ることにより当然に「被爆者」たる地位を失うという解釈の根拠とする
ことはできないというべきである。
キ 以上アないしカで検討したところを総合勘案するならば、被爆者援護法
の法的性格、立法者意志、法律全体の法構造のいずれをみても、その旨の
明文規定がないにもかかわらず、いったん適法・有効に「被爆者」たる地
位を得た者が、日本に居住も現在もしなくなることにより、その適用対象
から外れ、当然に「被爆者」たる地位を喪失するという解釈を合理的なも
のとして是認することはできない。
 同法に国籍条項を置かなかった以上、適用対象となり得る外国人が日常
の生活関係において日本に居住も現在もしないことは通常予想される事態
である。したがって、その合理的解釈に当たっても、「被爆者はどこにい
ても被爆者」という事実を直視せざるを得ないところである。控訴人らの
主張は採用できない。

 2
 (1)「被爆者」たる地位の確認について

 前記1で検討したところによれば、被控訴人が日本に居住も現在もしなく
なったとしても、当然には「被爆者」たる地位を喪失しないことになる。し
たがって、被控訴人の請求中、被控訴人と控訴人国との間で、被控訴人が被
爆者援護法1条1号に定める被爆者たる地位にあることの確認を求める請求
は理由がある。

 (2)健康管理手当の支給について

  ア 被控訴人が「被爆者」たる地位を喪失していないとしても、健康管理手
当の受給権の有無については、さらに所定の要件を充たしているかどうか
の検討が必要となる。

  イ 健康管理手当は、「被爆者」であって、造血機能障害、肝臓機能障害そ
の他の厚生省令で定める障害を伴う疾病にかかっているものに対して支給
される金員であり、支給を受けるに当たっては、都道府県知事の認定を受
け、その際、都道府県知事が当該疾病が継続すると認められる期間を定め
ることとされている(被爆者援護法27条1項ないし3項)。その期間は、
疾病の種類ごとに厚生大臣(現厚生労働大臣)が定める期間内で定められ、
造血機能障害を伴う疾病のうち鉄欠乏症貧血及び潰瘍による消化器機能障
害を伴う疾病については3年、その余の疾病については5年と定められて
いる(平成7年6月23日厚生省告示第127号)。そして、その認定に当
たっては、原則として、被爆者援護法19条1項の規定により都道府県知
事によって指定された被爆者一般疾病医療機関の診断書を添えることが要
求されている(同施行規則52条1項)。
 これらの規定を前提とするならば、健康管理手当の支給の開始に当たっ
ては、わが国に居住又は現在することが必要であると解されるが、認定後
になされる援護の内容は金員の給付であるから、性質上当然にわが国に居
住又は現在することが要求されるものではない。確かにわが国に居住も
現在もしない者への支給の具体的な方法を定めた規定は存在しないけれど
も、これを明確に排除する規定もない。そして、前記のとおり、戦争被害
に関する他の補償立法である遺族等援護法においては、海外送金の手続規
定がなくても実際に海外送金が行われていることに照らすならば(甲第2
8号証、第75号証、弁論の全趣旨)、健康管理手当については、わが国
に居住も現在もしない「被爆者」に対しても支給されるべきものと認める
のが相当である。

 ウ ところで、健康管理手当については、被爆者援護法27条1項の要件に
該当しなくなったときは、受給権者に失権の届出を義務づけ(同法施行規
則54条、39条)、また、都道府県知事は、同条項の要件に該当しなく
なった受給権者に対し、その旨通知しなければならない(同法施行規則5
4条、40条)、とされている。これらの規定を適切に機能させるために
は、都道府県知事において、書面審査のみならず、受給権者からの聞き取
りなどの調査が必要となり、その限度で、日本に居住も現在もしない「被
爆者」に健康管理手当を支給する場合には、その支給の適正を害するおそ
れがないではない。
 しかし、都道府県知事は、健康管理手当の支給を開始するに際し、厚生
大臣(現厚生労働大臣)の定める期間内で当該疾病が継続すると認められる
期間を定め、その期間が満了する日の属する月で支給は終わるのであるか
ら(同法27条5項)、そのような弊害の生じるおそれは少ないというべき
である。

  エ 以上によれば、控訴人大阪府が、被控訴人の「被爆者」たる地位につい
て失権の取扱いとし、平成10年8月分以降の健康管理手当支給を停止
したことには法律上の根拠がなく、被控訴人には、平成10年8月分以降
の健康管理手当を受給する権利がある。
 よって、被控訴人の請求中、平成10年8月分以降の健康管理手当の支
給を求める請求は理由がある(その履行期は毎月末日限りとするのが相当
である。〉。

 3 国家賠償請求について

   (1)国家賠償法1条1項は、公務員が個別の国民に対して負担する職務上の法
的義務に違反して、故意又は過失によりその国民に損害を加えたときに、国
等が賠償責任を負うことを規定したものである。
 ところで、通達は、全国的に解釈運用を統一する必要等に応じてなされて
いるものであり、行政実務上、通達に反する行為を実施者に期待することは
事実上不可能である。したがって、通達に基づく取扱いについては、当該通
達が違法であったとしても、直ちに実施行為者に故意又は過失があると認め
るのは相当でない。これが公務員の故意又は過失に基づく違法行為と評価さ
れるためには、当該通達の内容が上位規範に明白に反するとか、行政実務上
一般的に異なる取扱いがなされていたとかいう特別の事情を要すると解する
のが相当である。

  (2)これを本件についてみると、大阪府知事による失権の取扱いの根拠となっ
た402号通達は、158号通知により被爆者援護法においても有効なもの
であって、大阪府知事はそれに従ったものである。
 確かに、402号通達が同法の合理的な解釈としで是認できない部分があ
ることは否めないが、控訴人らの主張する原爆2法及び被爆者援護法の法的
性格、立法者意志、法律全体の法構造などを総合的に検討すれば、その解釈
にも一応の論拠がないわけではなく、402号通達が同法の規定に明白に反
しているとまではいい難い側面がある。
 しかも、行政実務上は、全国的に「日本に居住又は現在しない被爆者は失
権の取扱いとする」旨の統一的な対応がとられていたのである(弁論の全趣
旨)。

  (3)そこで、さらに、控訴人らにおける違法性の認識について検討する。

   ア 弁論の全趣旨によれぱ、当時の厚生省(現厚生労働省)が402号通達を
立案したのは、原爆2法の法文にだけ依拠したものではなく、その法的性
格、立法者意思、法律全体の法構造などを総合的に検討した結果であるこ
とが認められる。そして、前記説示のとおり、そのような解釈にも一応の
論拠がないとはいえない。したがって、当時の厚生省(現厚生労働省)が在
外被爆者について権利喪失の明文規定がないことを認識していたからとい
って、直ちに402号通達の立案について違法性の認識があったとするこ
とはできない。
また、本件全証拠によるも、当時の厚生省(現厚生労働省)が、孫振斗判
決の第一審判決を受けて、在韓被爆者からの被爆者健康手帳の交付申請が
増加することを危惧し、その適用を制限するために402号通達を発出し
たと認めるに足りないし、これを推認させるに足りる事情も見い出し難い。

   イ 被控訴人は、当時の厚生省(現厚生労働省)は、孫振斗判決が原爆医療法
について国家補償的配慮が制度の根底にあり、被爆による健康上の障害の
特異性と重大性のゆえにその救済について内外人を区別すべきではないこと
判示したことを認識し、その趣旨を容易に理解し得たから、402号通達
の違法性はますます明らかなものとなったと主張する。
 確かに、同法の制度の根底には国家補償的配慮が存するけれども、その
趣旨をいかなる範囲・程度・方法で実現するかは、個別的・具体的な立法
政策に属する事柄である。したがって、当時の厚生省(現厚生労働省)が、
被爆者の救済について402号通達のような考え方を採ったからといっ
て、前記説示のとおり、そのような解釈にも一応のの論拠がないではない以
上、違法性の認識が明らかになったということはできない(ちなみに、4
02号通達自体は内外人を区別する内容とはなっていない。)。

   ウ 被控訴人は、原爆2法が一本化されて被爆者援護法が制定された段階に
至っても、いったん被爆者健康手帳を取得した被爆者が日本国外に出る場
合の取扱いが恣意的に運用されてきたのは、当時の厚生省(現厚生労働省)
が、法令と402号通達との間に齟齬があることを認識していたからであ
ると主張する。
 確かに、甲第6号証、第11号証、第15号証ないし第22号証、第4
6号証ないし第49号証、証人倉本寛司及び同森田隆の各証言(いずれも
原審)と弁論の全趣旨によれぱ、在外被爆者のわが国における滞在期の
確認業務については、被爆者健康手帳の表紙裏に手帳の有効期間を書き込
んだり、滞在予定期間を記入したりするなど、その取扱いには変遷が認め
られる。しかし、この取扱いは滞在期間を把握するための技術的なもので
あるから、その変遷をもって、被爆者が日本国外に出る場合の権利の得喪
それ自体について恣意的に運用したものとはいえない。
 また、控訴人が指摘するように、日本に居住も現在もしない被爆者に
ついて被爆者援護法上の各種手当を受けることができた例があったとして
も、それは本来支給できない手当が過誤払いされたものともみることがで
きるから(甲第6号証ないし第8号証、第11号証。ただし、特別葬祭給
付金については、一回的給付であることの性質上、いったん適法・有効に
支給決定がなされれば、履行の段階で日本に居住も現在もしなかったとし
ても過誤払いの問題は起こらないというべきである。)、これを直ちに恣
意的取扱いの証左とすることは相当でない。
 なお、被控訴人は、平成12年8月ころ、広島在住の「被爆者」が韓国
を一時的に訪問したのに「被爆者」たる地位を失い、帰国後新たに「被爆
者」の認定申請を余儀なくされたとし、居住地を有する「被爆者」でも出
国すれば「被爆者」たる地位を失う実例があると主張する。しかし、甲第
54号証、乙第21号証と弁論の全趣旨いよれぱ、このような取扱いは、
被爆者自身が意図的に被爆者健康手帳を返納したことによるものであるこ
とが認められるから、恣意的な取扱いと評することはできない。
 結局、行政実務の取扱いは、その当否はともかくとして、日本に居住も
現在もしない者には原爆2法をはじめ被爆者援護法の適用はないというこ
とで一貫しており、402号通達もこのことを確認的に示達しているので
あるから、そこに恣意的な運用を認めることはできない。被控訴人の前記
主張は前提を欠くものといわざるを得ない。

  エ 被控訴人は、大阪府知事が本件で失権の取扱いをした当時、402号通
達が被爆者援護法の人道的目的と真っ向から反するものであることは容易
に認識できたはずであると主張する。
 確かに、同法は人道的見地から被爆者の救済を図るという側面を有する
けれども、いかなる範囲・程度・方法によりその目的を達するかは、個別
的・具体的な立法政策に属する事柄である。当時の厚生省(現厚生労働省)
が、被爆者の救済について402号通達のような考え方を採ったからとい
って、前記説示のとおり、そのような解釈にも一応の論拠がないではない
以上、違法性の認識が容易であったということにはならない。
 なお、被控訴人は、大阪府知事による失権の取扱いが402号通達にす
ら違反する違法性の強いものであったと主張する。しかし、大阪府知事の
行為は同法の執行であるから、法規範性を有しない402号通達に違反す
るかどうかを問題としても失当というほかない。

 オ 以上によれば、控訴人らに国家賠償法1条1項の故意又は過失を認める
ことはできない。

 (4)よって、その余の点について判断するまでもなく、被控訴人の国家賠償請
求は理由がない。

 4 結論
 以上によれば、被控訴人の、(1)控訴人国との間で被控訴人が被爆者援護法
上の被爆者たる地位にあることの確認を求める請求は理由があるからこれを認
容すべきであり、(2)控訴人大阪府に対する請求は、17万0650円及び平
成11年1月から平成15年5月まで毎月末日限り3万4130円の支払を求
める限度で理由があるからその限度でこれを認容すべきであるが、その余は理
由がないからこれを棄却すべきであり(当審において追加された控訴人国に対
する健康管理手当の支払い請求は、控訴人大阪府に対する健康管理手当の支払請
求と選択的な関係にあるから、重ねて判断する要をみない。)、(3)控訴人ら
に対する国家賠償請求はいずれも理由がないからこれを棄却すべきである。
 よって、原判決は相当であって、本件控訴及び附帯控訴はいずれも理由がな
いからこれを棄却することとし、控訴費及び附帯控訴被用の各負担につき民
訴法67条1項、61条、65条1項を適用して、主文のとおり判決する。

大阪高等裁判所第九民事部
裁判長裁判官 根本 眞
   裁判官 鎌田義勝
   裁判官 松田 亨
  


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