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2002年12月5日大阪高裁

郭貴勲裁判 判決要旨

○被爆者援護法上の被爆者たる地位確認等請求控訴事件(判決理由要旨)

一 原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律(以下「被爆者援護法」という。)一
  条の被爆者たる地位は、当該被爆者が日本に居住も現在もしなくなることにより
  当然に失われるものではない。
 
 1 法文上の「被爆者」たる地位について

被爆者援護法、同施行規則の法文上は、日本に居住又は現在している者のみ
をその適用対象とするとか、日本に居住又は現在することが被爆者援護法上の
被爆者たる地位の効力存続要件であるとか解すべき直接の根拠はない。

 2 解釈上の「被爆者」たる地位について

 控訴人らは、被爆者援護法は、解釈上、日本に居住又は現在する者のみをそ
の適用対象とし、日本に居住も現在もしなくなった者については法律上当然に
「被爆者」たる地位を喪失すると主張するので、このような解釈が同法の法的
性格、立法者意志、法律全体の法構造などに照らし、合理的なものとして是認
できるかどうか以下検討する。

  (一)行政法と属地主義の原則について
 被爆者援護法のような給付行政に関する国法については、その性質上、給
付を受ける側の人的側面に着目し、属人主義的な立場(人的範囲を限定する
反面、場所的範囲を日本国内に限らない立場)を採用する法制にも十分な合
理性が認められる。したがって、被爆者援護法が行政法規であるがゆえに、
属地主義の原則が当然に妥当するものではない。ましてや、「被爆者」たる
地位をいったん適法・有効に取得した者が、日本に居住も現在もしなくなっ
たからといって、属地主義の原則を根拠に、当然にその地位を失うという解
釈を採用することはできない。

  (二)被爆者援護法の性格について
 被爆者援護法が、社会保障と国家補償双方の性格を併有する特殊な立法で
あるということ、とりわけ、同法が被爆者が被った特殊の被害にかんがみ、
一定の要件を満たせば、「被爆者」の国籍も資力も問うことなく一律に援護
を講じるという人道的目的の立法であることにも照らすならば、その社会保
障的性質のゆえをもって、日本に居住も現在もしていない者への適用を当然
に排除するという解釈を導くことは困難である。

  (三)立法者意志について
 被爆者援護法の立法過程においては、政府委員から同法が非拠出の社会保
障的性格を有するがゆえに、日本の主権の及ばない外国では国内法の適用
がないという一般論が開陳されてはいるものの、少なくとも、本件で争点と
されているように、いったん適法・有効に「被爆者」たる地位を取得した者
が、その後、日本に居住も現在もしなくなることにより当然に「被爆者」た
る地位を失うかどうかという点については、およそ議論の外にあったという
べきである。
 そして、立法者意志も、第1次的には当該法文に表された(明文が置か
れなかったことも含めて)ところによって探求されなければならない。この
点、人の権利義務に直接関わる法律は、本来、疑義の残ることがないように
明確に規定されるべきことが要請される。これを本件について見ると、被爆
者援護法の審議の過程においては、海外に居住する被爆者に対する援護の内
容についても質疑・答弁がなされていた。少なくとも、立法技術上は、日本
に居住または現在する者のみを適用対象としたり、これを「被爆者」たる地位
の効力存続要件とする旨の明文規定を置いたりすることに格別の困難はなか
ったはずである。法律の適用や、いったん発生した効力の存続要件といった当
該立法の目的に関わる基本的な事柄について、専門的・技術的分野の事項で
もないのに、これを行政庁の裁量行為に委ねるべき合理的理由も見い出すこ
とはできない。それにもかかわらず、このような点に関する明文規定を置か
ず、解釈に委ねたというのであるならば、それは立法過程における不備とも
いうべきものであり、そこに立法者意思としてとらえるべき積極的意味合い
をもたせるのは相当ではない。

  (四)被爆者援護法の法構造について
 被爆者援護法上、被爆者健康手帳の交付を申請したり、各種手当支給の前
提となる都道府県知事の認定を申請したりする時点では、日本に居住又は現
在することが当然の前提となっている。しかし、これらの規定は、「被爆者」
たる地位及び各種手当の受給権を取得する際の問題であり、いったん取得し
た「被爆者」たる地位を失わせる根拠となり得るものではない。被爆者援護
法上の援護の実施主体が都道府県知事とされていること、「被爆者」が他の
都道府県に居住地を移したときの届出義務があること等も技術的規定であ
り、これをもって、いったん適法・有効に取得した「被爆者」たる地位を当
然に失権させる根拠とはなり得ない。
 被爆者援護法上の医療給付については、日本に居住も現在もしない者に対
する給付は予定されていないが、「被爆者」たる地位に基づく権利は医療給
付の受給に尽きるものではないから、これも失権の根拠とはならない。被爆
者援護法上、日本に居住又は現在することを前提とする規定により、国外の
「被爆者」が各援護の実施を受けることができない事態が発生することがあ
り得るとしても、そのこと自体は、専ら「被爆者」側の事情や都合によるも
のであって、逆に、その者が「被爆者」として同法上の権利主体たり得ない
と解するのは本末転倒との誹りを免れない。
 また、被爆者援護法の各種の援護のうち治療期間中に支給されると明記さ
れている手当は医療特別手当だけであり、他の諸手当は治療中であることが
要件とはなっていない。健康管理手当についても医療給付を前提とするもの
ではなく、その趣旨は、放射能との関連性を明確に否定できない疾病にかか
っている者について、日常十分に健康上の注意を払う必要があるため、この
ような健康管理に必要な出費に充てることを給付の本旨とするものである。
 そうであるならば、当該要件を満たす「被爆者」にとってはまずは医療給付
を受けることが望ましいけれども、日本に居住も現在もしないためにそれが
叶わなくとも、少なくとも健康管理手当を受給し、日常の健康管理に努める
意義を否定することはできない。
 さらに、被爆者援護法においては、原子爆弾被爆者に対する医療等に関す
る法律(以下「原爆医療法」という。)と原子爆弾被爆者に対する特別措置法
(以下併せて「原爆二法」という。)との国家補償的性格と人道的目的をより
強化する方向で一本化されたものと見るのが相当である。そうであるならば、
被爆者援護法に原爆二法を継受した経緯があるからといって、いったん適法
・有効に「被爆者」たる地位を取得した者について、日本に居住も現在もし
なくなることにより当然にその地位を失うと解すべき合理的理由となるもの
とはいえない。

  (五)最高裁昭和五三年三月三〇日第一小法廷判決(孫振斗判決)について
 孫振斗判決は、日本に不法入国した在韓被爆者について、現在する理由の
いかんを問わず、原爆医療法の適用があると判断した事案であり、わが国に
現在しない被爆者には同法の適用がないと判断したということはできない。
また、これを、被爆者援護法上、いったん適法・有効に「被爆者」たる地位
を取得した者について、日本に居住も現在もしなくなることによって当然に
その地位を失うという解釈の根拠とすることはできない。

  (六)本訴第一審判決後の施策について
 厚生労働省は、平成一三年一二月、「在外被爆者に対する検討会」の報告
を踏まえ、概ね三年以内にすべての在外被爆者が渡日して被爆者健康手帳の
発行を受けることができることとし、渡日できない者に対しても申請に基づ
き被爆の事実確認を行うことのほか、在外被爆者に対する各種の支援事業の
措置を講ずるとともに、法令上の規定の整備を行った。しかし、これらの措
置には、厚生労働省が「在外被爆者に対する検討会」の検討結果に基づき、
従前の行政実務を前提として、新たな施策を打ち出したものという以上の意
味合いはない。これらの事情をもって、被爆者援護法上、日本に居住も現在
もしなくなることにより当然に「被爆者」たる地位を失うという解釈の根拠
とすることはできない。

  (七)以上(一)ないし(六)で検討したところを総合勘案するならば、被爆者援護法の
法的性格、立法者意思、法律全体の法構造のいずれをみても、その旨の明文
規定がないにもかかわらず、いったん適法・有効に「被爆者」たる地位を得
た者が、日本に居住も現在もしなくなることにより、その適用対象から外れ、
当然に「被爆者」たる地位を喪失するという解釈を、合理的なものとして是認
することはできない。同法に国籍条項を置かなかった以上、適用対象となり
得る外国人が日常の生活関係において日本に居住も現在もしないことは通常
予想される事態である。したがって、その合理的解釈に当たっても、「被爆
者はどこにいても被爆者」という事実を直視せざるを得ないところである。

二 1 「被爆者」たる地位の確認について
 前記一で検討したところによれば、被控訴人が日本に居住も現在もしなくな
ったとしても、当然には、「被爆者」たる地位を喪失しないことになる。被控訴
人と控訴人国との間で、被控訴人が被爆者援護法一条一号に定める被爆者たる
地位にあることの確認を求める請求は理由がある。

  2 健康管理手当の支給について
 健康管理手当の支給の開始に当たっては、わが国に居住又は現在することが
必要であると解されるが、認定後になされる援護の内容は金銭の給付であるか
ら、性質上当然にわが国に居住又は現在することが要求されるものではない。
控訴人大阪府が、被控訴人の「被爆者」たる地位について失権の取り扱いとし、
平成10年八月分以降の健康管理手当の支給を停止したことには法律上の根拠
がなく、被控訴人には、平成一〇年八月分以降の健康管理手当を受給する権利
がある。

三 国家賠償請求について

 1 国家賠償法一条一項は、公務員が個別の国民に対して負担する職務上の法的
義務に違反して、故意又は過失によりその国民に損害を加えたときに、国等が
賠償責任を負うことを規定したものである。通達は、全国的に解釈運用を統一
する必要等に応じてなされているものであり、行政実務上、通達に反する行為
を実施者に期待することは事実上不可能である。したがって、通達に基づく取
扱いについては、当該通達が違法であったとしても、直ちに実施行為者に故意
又は過失があると認めるのは相当でない。これが公務員の故意又は過失に基づ
く違法行為と評価されるためには、当該通達の内容が上位規範に明白に反する
とか、行政実務上一般的に異なる取扱いがなされていたとかいう特別の事情を
要すると解するのが相当である。

 2 本件では、大阪府知事による失権の取扱いの根拠となった当時の厚生省公衆
衛生局長通達(以下「四〇二号通達」という。)は、被爆者援護法においても有効なものであって、大阪府知事はそれに従ったものである。確かに、四〇二号
通達が同法の合理的な解釈として是認できない部分があることは否めないが、
控訴人らの主張する原爆二法及び被爆者援護法の法的性格、立法者意志、法律
全体の法構造などを総合的に検討すれば、その解釈にも一応の論拠がないわけ
ではなく、行政実務上は、全国的に「日本に居住又は現在しない被爆者は失権
の取扱いとする」旨の統一的な対応がとられていた。

 3 そこで、さらに、控訴人らにおける違法性の認識について検討する。
  (一)当時の厚生省が四〇二号通達を立案したのは、原爆二法の法文にだけ依

したものではなく、法的性格、立法者意志、法律全体の法構造などを総
合的に検討した結果である。そして、前記のとおり、そのような解釈にも一
応の論拠がないとはいえない。したがって、当時の厚生省が在外被爆者につ
いて権利喪失の明文規定がないことを認識していたからといって、直ちに四
〇二号通達の立案について違法性の認識があったとすることはできない。
 
  (二)被控訴人は、当時の厚生省は、孫振斗判決が原爆医療法について国家補償
的配慮が制度の根底にあり、被爆による健康上の障害の特異性と重大性のゆ
えにその救済について内外人を区別すべきではないと判示したことを認識
し、その趣旨を容易に理解し得たから、四〇二号通達の違法性はますます明
らかなものとなったと主張する。確かに、同法の制度の根底には国家補償的
配慮が存するけれども、その趣旨をいかなる範囲・程度・方法で実現するか
は、個別的・具体的な立法政策に属する事柄である。したがって、当時の厚
生省が、被爆者の救済について四〇二号通達のような考え方を採ったからと
いって、前記のとおり、そのような解釈にも一応の論拠がないではない以上、
違法性の認識が明らかになったということはできない。

  (三)被控訴人は、原爆二法が一本化されて被爆者援護法が制定された段階に至
っても、いったん被爆者健康手帳を取得した被爆者が日本国外に出る場合の
取扱いが恣意的に運用されてきたのは、当時の厚生省が、法令と四〇二号通
達との間に齟齬があることを認識していたからであると主張する。確かに、
在外被爆者のわが国における滞在期間の確認業務の取扱いには変遷が認めら
れる。しかし、この取扱いは滞在期間を把握するための技術的なものである
から、その変遷をもって、被爆者が日本国外に出る場合の権利の得喪それ自体について恣意的に運用したものとはいえない。
 また、被控訴人が指摘するように、日本に居住も現在もしない被爆者について被爆者援護法上の各種手当てを受ける事ができた例があったとしても、それは本来支給できない手当てが過誤払いされたものともみることができるから、これを直ちに恣意的取扱いの証左とすることは相当でない。
 結局、行政実務の取扱いは、その当否はともかくとして、日本に居住も現在もしない者には原爆二法をはじめ被爆者援護法の適用はないということで一貫しており、四〇二号通達もこのことを確認的に示達しているのであるから、そこに恣意的な運用を認めることはできない。

(四)被控訴人は、大阪府知事が本件で失権の取扱いをした当時、四〇二号通達が被爆者援護法の人道的目的と真っ向から反するものであることは容易に認識できたはずであると主張する。確かに、同法は人道的見地から被爆者の救済を図るという側面を有するけれども、いかなる範囲・程度・方法によりその目的を達するかは、個別的・具体的な立法政策に属する事柄である。当時の厚生省が、被爆者の救済について四〇二号通達のような考え方を採ったからといって、前記のとおり、そのような解釈にも一応の論拠がないではない以上、違法性の認識が容易であったということにはならない。

(五)以上によれば、控訴人らに国家賠償法一条一項の故意または過失を認めるこ
とはできない。よって、その余の点(損害)について判断するまでもなく、被控訴人の国家賠償請求は理由がない。
   (以上)


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