金大中大統領への要請書
 
(1999年7月12日)


     要  請  書


大韓民国 金大中大統領 閣下

「被爆者援護法」が韓国でも適用されるよう、
日本政府とご協議くださることを、切に願います。

                  1999年7月12日


        韓国の原爆被害者を救援する市民の会
                            会長 市場 淳子

           日本国大阪府豊中市東豊中町4−21−10
                  TEL/FAX06−6854−7308

 金大中大統領閣下におかれましては、大統領就任以来、IMFの経済危機打開と改革と不正腐敗の打破など国政のために日夜多大なご苦労を重ねておられますことに、心より敬意を表します。

 わたしたち「韓国の原爆被害者を救援する市民の会」は、金大統領閣下が野党総裁であられた1971年に発足し、今日まで、「植民地支配・原爆被害・祖国帰国後の放置」という三重苦を背負わされた在韓被爆者に対する日本人としての責任を果たすため、「韓国原爆被害者協会」とともに、日本政府に補償要求を続けてまいりました。
 しかし、日本政府は今日まで、補償問題は「日韓条約で解決済みの事項である」という立場を固守しています。
 けれども、在韓被爆者がいまだ何の補償も受けていないことは、日本政府自身も否定することはできません。

 その間、1978年には日本の最高裁判所で、在韓被爆者である孫振斗氏の提訴した裁判において、韓国人被爆者に日本政府は補償する責任があることを明確に認める判決を下しました。その判決を根拠に、わたしたちは韓国原爆被害者協会とともに、ねばり強く日本政府に補償を要求しつづけました。
 その結果、日本政府も在韓被爆者を放置しつづけることはできなくなり、1990年5月に当時の廬泰愚大統領が訪日された時に、「人道的医療支援金40億円」を拠出することを決定しました。しかし、40億円は「一時金」にすぎず、「補償金」ではありませんでした。そのうえ、使途は医療支援に限定されました。
 40億円を基金に医療費・診療補助費の支給が始まり、陝川原爆被害者福祉会館が建立されはしましたが、「病苦と貧困の悪循環」に陥った在韓被爆者が切望する「生活援護」は行われていない実情です。
 しかも、40億円の基金は、2003年には底をつきます。

 いっぽう、日本では被爆者に、「被爆者援護法」によって医療・生活両面の援護策が行われており、その年間予算は毎年約1、400億円に達しています。在韓被爆者に拠出された「40億円」とは比較になりません。
 そして、「被爆者援護法」には国籍条項がなく、国外被爆者への適用を阻む規定もありません。それで日本に在住する韓国人被爆者や、日本に入国した在韓被爆者は、在留中は適用されています。そうであるならば、「被爆者援護法」は韓国に住む被爆者にも適用されるべきです。
 わたしたち市民の会と韓国原爆被害者協会では、「被爆者援護法」に適用を日本政府に求めていますが、日本政府はこれを拒否しつづけています。

 現在、日本の広島高等裁判所と、大阪地方裁判所と、長崎地方鼓判所では、韓国原爆被害者協会会員たちが原告となり、「少なくとも、日本で被爆者健康手帳を取得して『被爆者援護法』の適用を受けた被爆者には、韓国帰国後も引き続き『被爆者援護法」が適用されるべきである」とする裁判を係争中です。
 
 金大統領閣下は以前に、「過去の清算問題は、日本国民、あるいは日本の政府自らが、過去に対してどう反省し、どう清算するかという問題です」と述べられ、また、「過去清算の基準は、被害国民が満足に受け入れることができ、許す心が生じなければならず、1965年の韓日条約では両国間に真の和解と協力が十分に実現されなかった」と強調されました。
 わたしたちも金大統領閣下のおっしやったことに全面的に共感し、勇気を出していますが、なにぶんにも力が足りないために、金大統領閣下のおカをお貸しいただきたいと、願っております。
 日本政府は「日韓条約で解決済みの事項だ」と言いながらも、「韓国政府からの要請があれば応じる」という立場を表明しています。
 事実、40債円だけをとってみても、当時の慮奉愚大統領からの要請を受け入れたものです。

 ご参考までに申し上げたいことは、日本の沖縄がアメリカ軍政下にあった1967年、沖縄在住被爆者を援護するために、日本政府は、琉球政府と米国民政府との間に、別添のとおりの「琉球在住原子爆弾被爆者の医療等に関する了解覚書」を交わし、日本の統治権のおよばない沖縄在住の被爆者にも、日本政府が予算を組み、日本の厚生省が被爆者認定および手当支給認定の業務に責任を持ち、日本の被爆者とまったく同様に被爆者の法律を適用しました。
 この「覚書」とよく似たものが、日本政府と韓国政府とのあいだに交わされたことがあります。それは、1980年に日本政府が韓国政府と交わした「在韓原爆被害渡日治療・実施に関する合議書」というものです。(この合議書(案)も別添いたします。
 この時点で、日本政府は、その「合議書」を琉球政府と交わした「覚書」と同様の内容にすることができたはずですが、韓国の被爆者には、日本の被爆者と同様の援護を与えようとせず、意図的に日本で二ヶ月だけ治療をうけさせて、韓国に帰すようにしました。

 日本と韓国の間には、「日韓条約」という非常にむずかしい問題が横たわっています。そして、在韓被爆者に対する日本政府の賠償問題は、ひとり被爆者のみの問題ではありません。それゆえに、「在韓被爆者のための40憶円」は「人道的医療支援金」として拠出されました。わたしたちは、そのような日本政府の底意を十分承知しています。

 2003年に40億円が使い果されれば、在韓被爆者はふたたび無援護の状況に追いやられます。そのような事態は、人道上も許されることではありません。
 40億円が底をつくまえに、在韓被爆者の援護策が講じられなければなりません。
 その対策として、まずはもっとも実現可能な策が、「被爆者援護法」の韓国内における適用であると、考えています。
 日本の「被爆者援護法」はたいへん人道的な法律です。「被爆者援護法」を在韓被爆者に適用することは、「被爆者援護法」の人道的目的にも適うものです。
 そして、「被爆者援護法」を韓国の被爆者に適用する問題に関して、今わたしたちは、日本政府と琉球政府が取り交わした「覚書」という、非常によい先例を手にしています。そのような「覚書」が韓国政府とのあいだにも交わされれば、在韓被爆者も日本の被爆者と同じように、生きている限り健康と生活の不安から少しでも解放されることでしょう。

 金大統領閣下、40億円が底をつくまえに、「被爆者援護法」が韓国で適用されるよう、日本政府とご協議くださいますよう、切にお願い申しあげます。

 原子爆弾より照射された放射線は、被爆後54年がたつ今も被爆者の健康を蝕みつづけています。すでに多くの被爆者がなくなりましたが、せめて今生きている在韓被爆者たちが日本政府から補償と手厚い援護を受けて「生きていてよかった」と思える日を一日も早く迎えることができますよう、なにとぞ、大統領閣下のお力をお貸しください。

 最後に、金大統領閣下の御健勝を心よりお祈りいたします。


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