陳 述 書

                        郭   貴 勲

 本提訴にあたり、一言意見陳述致します。

一 元経済評論家で、今は閣僚になっている人がよく言っている言葉に「日本は厳密な意味では資本主義国家ではない」というのがありました。資本主義とはすべての資本が株式市場に上場され、各企業の経営情報が公開されているばかりか、株主に利益が配当されるのが資本主義の常識でありますが、日本では一番重要な株主は一○番目位に追いやられ、総会では、闇の権力者である総会屋が牛耳っているし、大蔵省の官僚が護送船団方式で運営しているシステムですから、正確に言えぱ日本という国は官僚統制国家である、とのことです。
 したがって、日本の経済が立ち直る為には、情報が公開された、真の自由競争の市場原理が適用される社会になるのが、先決間題だとのことでありました。

二 さて、私が今度提訴の運びと相成りました、被爆者援護法の在外被爆者適用問題ですが、元々日本政府は特に在韓被爆者に対しては、一九六五年の韓日国交正常化条約締結の時、両国間のすべての問題が精算済みだという態度で一貫してきました。しかし、一九七八年孫振斗の手帳裁判で最高裁は、「原爆医療法は、戦争遂行主体であった国が自らの責任によりその救済をはかるという一面をも有するものであり、その点では実質的に国家補償的配慮が制度の根底にある」と国家補償の側面をも明確に肯定しています。又、「戦後自己の意志に関わりなく日本国籍を喪失した事情をも勘案すれば国家的道義のうえからも原告への同法の適用は首肯される」と国籍に関係なく被爆者に対する補償責任を明確に判示しているのであります。ところが日本政府は、これより先、一九七四年三月三○日、福岡地裁での孫振斗手帳裁判初審で敗訴した後に、同年七月二二日、厚生省公衆衛生局長通達で「日本国の領域を越えて居住地を移した被爆者については、原爆特別措置法の適用がないものとして失権の取り扱いをするものと解される」との姑息な緊急対応策を講じたのでありました。
 即ち原爆被爆者として認定された者でも、日本国内に居住しておれば原爆医療法が適用されるが、一旦日本国の領域を離れると被爆者としての地位や権利を失うとしたのです。
 この通達は、その後一九七八年三月、先に述べたように最高裁で孫さんが勝訴しても何ら変わることがないばかりか、原爆二法が一九九四年一二月被爆者援護法になった今も、厳然としてその威力を発揮し続けております。

三 常識的に私が考えますに、従来の原爆二法や後の被爆者援護法には国籍要件がありません。それは、被爆者であれば日本人であれ、外国人であれ国籍に関係なく国家補償的な配慮で救済すべきだとの立法の趣旨です。又最高裁での判決もあります。そのような立法趣旨や最高裁の判決より、一局長である官僚の通達が最も優先し続けるということに対して、私は憂慮すると共に日本人でも誰一人そんなことを納得する人はいないだろうと思います。
 原爆二法があった一九七四年七月に出された通達が、四半世紀すぎた今に至る迄厳存するというのもおかしな話でありますし、原爆二法が援護法に発展した現在においても、一局長の通達が最高裁の判決よりもより効力があるということは、果たして日本が法治国家であるか、法の支配が貫かれている国なのかを疑う人があっても、弁明の余地がないと思います。
 初めに述べた日本は厳密な意味では資本主義国家ではなく官僚が統制する国家であるということも、あってはなりませんし、法によって治められる国家でもない非法治国家であるというようなことも、あってはならないと私は思っております。

四 近頃は韓日間といえども大変交通が便利になりましたので、両国家を日帰りで往復することが可能な時代になりました。私が朝家を出る時は被爆者として失権された者ですが、日本に来て健康手帳を再取得すれば、昼過ぎには被爆者としての権利がよみがえります。しかし又、夕方家に帰ろうと日本の空港を出た瞬間に又失権となります。一日のうちに失権と復権がくりかえされるような身分。これは、ファッションモデル並ですが、健康を管理する為の手帳が一日に何べんも変わるということは、誰が考えても尋常とは思えません。こんなおかしな発想は、元をただせば、皆日本人の差別意識から出たものです。
 日本人は、昔から自分達は選ばれた民族であり、他の民族は皆自分達よりも下級の民族だと思っているふしが多々あります。私達の立場から見れば日本民族もウラルアルタイ系の大陸の流れでありますので、今の日本人の歴史、文化、民族、風習等は殆ど大陸から伝来継承発展されたものであります。私たちのものと大同小異であると思いますが、何故か近世に至って自分達の先輩、祖先を踏みにじり虐待することで快楽をむさぼる人が多かったように思います。
 私は生まれてみるともう日本の植民地下にありました。日本の植民地政策で家は貧困の至りでありましたし、私達の歴史、言語、文化、風習は皆踏みにじられ、抹殺されて、一重に皇民化教育で育てられました。日本人よりも優秀な日本人として軍に徴兵され、最後に広島で原爆に被爆しました。一生の前半を日本の為に捧げたかたちですが、一日も日本人の差別意識から解放されたことはありませんでした。その時私は祖国が救えるなら、差別のない世の為には生命を捧げてもよいと何時も思いつめておりました。
 日本の敗戦によって独立国の国民になりましたが、今も植民地時代の差別の悪夢から片時も解放されておりません。
 その間過去罪深い日本人達が、私達に対して、深く謝罪すると何べんも言いましたが、それは皆建前の言葉であって、本音は正反対の政策で一貫していることを、私達は見極め続けています。

五 しかし、時代が変わり、人々の考え方も変わりつつあります。そして両国が壁を高くして生きていける時代でもありません。これからは日本の皆さんも、もう少し大局的に考え、巨視的な立場で物事に対処してくれるよう切に望みます。
 このような時代の背景もありますので、敢えて提訴の運びとなりましたが、最後にフランス政府は今も旧植民地で働いていた現地のセネガル人元軍属に本国と同額の年金を送り続けているという事実を日本の人々は参考にするべきだと思います。
 自由と人権が尊重される社会、平等と差別のない世の中が一日も早く到来するよう望んでやみません。そして、日本が真の資本主義社会として発展し、法の支配が最優先する社会に発展することをも切に望みます。

 最後に、どうか裁判官の方々には、法の支配の貫徹の観点から、韓日の新時代にふさわしい公正な審判をしていただきたく、お願い致します。
 以上をもって、提訴の弁と致します。
一九九八年一一月一八日
                      郭 貴勲 印
大阪地方裁判所第二民事部 御中


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