四○億円の「ガイドライン」

 在韓被爆者の思いとは裏腹に四十億円の拠出は政府のペースで進んでいった。九○年八月、外務省は九一年度にとりあえず十七億円を分割払いする方針を表明(残りの二十三億円は九三年二月に支払われることになる)。しかも日韓両政府合意の「ガイドライン」が存在することが明らかとなった。つまり、四十億円の使途は、被爆者センターの建設、被爆者治療、健康診断に限定し、これ以外の用途は認めない、というものだった。在韓被爆者たちは「自分たちで使い道を決められない支援金は意味がない」「医療設備も十分でないセンターを四十億円の大部分を使ってあちこちに建てたとしてもだれが利用するのか」「町から遠く離れた農村の被爆者には何の役にも立たない」「寝たきりや生活苦の被爆者にどういうメリットがあるのか」と反発した。しかし、協会としては、四十憶円を拒否し、従来の「二十三億ドル補償要求」一本で筋を通すには、老齢化した被爆者の現実はあまりにも厳しいと判断、四十憶円を受け人れて会員たちの状況を改善できるように運営し、なおかつ「国家補償」を正面にすえた日本政府への要求を継続するという二面杓な方針を取らざるをえなかった。

 協会はまず、被爆者センターよりも日本の「特別措置法」に定められているような諸手当ての支給を要求したが、「手当て支給は補償につながるものであり認められない」と拒否された。そこで、韓国政府に働きかけ、四十億円の利子の中から協会に登録する全被爆者に死亡時七十万ウォン(のちに一五○万ウォンに増額)の葬祭料と月額五万ウォンの「医療補助」を支給させることを実現させた。そして、九二年十一月、その年の七月からの半年分三十万ウォンの「医療補助」を被爆者ひとりひとりに支給させることができた。そして九三年二月の四十憶円全額支払いにともない、利子運用により、同年一月にさかのぼり、在韓被爆者個々人に「医療補助費」月額十万ウォンが支給されることになった。協会はこの中から組織運営費として五千ウォンを天引きし、被爆者の受取りは実質九万五千ウォンだった。協会の利子運営による個人支給は画期的なものだったが、現在の韓国での九万五千ウォンは日本円に換算すると約一万五千円。困窮する在韓被爆者の生活にとってはわずかなものだった。

 それでも四十億円のニュースを聞いて、韓国国内では保健社会部や大韓赤十字社に被爆者であることを名乗り出る人が続出。協会はとりあえず会員のロコミで中断されていた被爆者の新規登録の再開を伝え、登録を受け付けた。この結果、九三年度には全支部で申請者約二二四人が審査によって被爆者と認定された。新規登録者は制度上、協会が分担することになっているが、登録を全国に呼びかけるだけの資金力が欠如していることと、被爆者認定に関する知識が十分でないため、埋もれた被爆者の掘り起こしは進んでいない。

  (在韓被爆者が語る被爆50年−求められる戦後補償−〈改訂版〉より)


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