ほんとうの戦後補償ってなに?

?Talk?Talk?Talk?

1992年のある夏の昼下がり、幼なじみのたか子さん、きよしさん、健作さ んが久しぶりに会いました。

たか子さんは大学時代から長い間、在韓被爆者問題に関わってきました。

きよしさんはボランティアに興味があり、日本の政治や戦後補償の問題に興味 を持っています。

健作さんはややこしい問題に関心はありません。

きよしさんがたか子さんに言いました。

きよし

「最近、戦後補償問題が話題になってきて・・・そういうたら、在韓被爆者に 40億円もでたんやて。よかったなあ、長い間関わってきたかいがあったっても んやね。」


たか子

「そうでもないのよ。あのお金じゃちっとも根本的な解決にはならないんだか ら。」


健作

「え、在韓って、韓国にも原爆落ちたっけ。広島と長崎だけじゃなかった?」


きよし

「なに言うてるんや、今ごろ」


たか子

「ま、知らない人も多いから。広島と長崎でね、たくさんの朝鮮人も被爆して いたのよ。太平洋戦争当時、日本は朝鮮を植民地にしていたでしょ。無理やり朝 鮮人の名前を日本名に変えさせたり、日本語を強制的に使わせたり、日本人の起 こした戦争に動員したり。でも朝鮮での選挙を認めなかったり、労働賃金に差が あったり、決して平等じゃなかったのよ。」


健作

「そりゃひどい。ぼく英語苦手だし、もしアメリカ人になれって言われても、 なれるわけないよ。ケンやロバートなんて名前も願いさげだね。」


きよし

「まあ、それに近いことしたわけやな」


たか子

「そういう事実があったわけなんだけれど、問題は戦後の在り方なのよ。彼ら は当時、『日本人』として被爆させられたんだけど、1952年のサンフランシ スコ講話条約で『日本人』から韓国・朝鮮人に戻ってしまったわけ」


健作

「良かったじゃない。」


たか子

「ところが、そこで日本人の原爆被害者が受けている援護を、母国に帰っ人た ちは受けられなくなってしまったのよ。」


きよし

「日本が得意な切り捨てっちゅうやつや。」


健作

「そんな。だって被爆した時は『日本人』だったわけでしょ。」


きよし

「そうなんや。それで韓国でも1967年に原爆被害者協会っていう組織がで きて活動を続けてきたわけやけど、韓国では日本とちごて、原爆後障害に対する 知識も理解もなかってん。それで日本政府に働きかけたわけやけど・・・そやな 、たか子はん」


たか子

「日本政府は1965年の日韓条約で解決済みの一点張り。のれんに腕押しだ ったわけ。」


健作

「それが今度40億円だっけ、出たんだからいいじゃないの。」


たか子

「よくない。」


きよし

「だけど戦後補償問題で巨額のお金が出たの、初めてやろ。」


たか子

「それがこんなお金いらないっていうのが、在韓被爆者たちの正直な気持ちな のよ。」


健作

「そんなことわかるわけないじゃないか!それに出るお金はもらったほうが・ ・」


たか子

「実は私、この前韓国に行ってきたのよね。」


きよし

「えっ、知らんかった。」


たか子

「それで実際の被爆者の人にも会って話してきたんだけど・・・その前に40 億円のことを言っておくと、大韓赤十字社を通して払われるそのお金は、治療費 と被爆者センターのみで個人への補償はできないっていう条件付きになっている のよ。」


健作

「でも少しは役に立つんだろ。それに政府が払う金のことに僕たちが何か言え るの。ましてや払われてしまったら、韓国の自由だし、内政干渉だよ。」


たか子

「でもね、そこで韓国の被爆者の実態に目をつぶってはいけないと思うの。」


きよし

「そりゃそうや、役に立たんことするんやったら、ODAと一緒や。」


たか子

「そうなのよ。日本の評判がますます悪くなるだけ。日本の戦後補償の問題な のよ。まず、韓国には被爆者が2万人はいると言われているんだけど、いま現在 、わかっているのはその内の1割程度の人でしかないの。これまで被爆者だから って何の補償も制度もあたわけじゃないものだから、登録もしていない、組織的 な実態調査や被爆者の掘り起こしもされていない、それにきよしさんが言ってい たように原爆後障害の知識がないから、自分が被爆者だってことを知らない人も 多いのよ。」


健作

「そうか。誰でも知っているのかと思った。」


だか子

「原爆の悲惨さをみんなが知っていると思うのは、日本国内だけのことよ。日 本はそれで平和を訴えてきたんだから。私が行ったのは、ついこの前協会の支部 ができた慶尚南道の方。ここは田舎でね、農家が多いの。ひとり暮らしのハルモ ニ(おばあさん)に何人か会ったわ。韓国でも農村部では過疎が進んでいて、老 人だけの家が多くて。その人たちは毎日働かなきゃ食べて行けない。治療なんて とてもとても。病院だって遠いのよ。そうした人たちに被爆者センターの建物や 治療が役に立つと思う?都市部でも被爆者は働けなくて生活保護を受ける困窮者 が多いっていうのに。そんな人たちが明日の生活の心配なく老後を暮らせるよう な補償こそが本当に望まれているものだと思わない?。」


きよし

「おじいちゃん、おばあちゃんが苦労しているの聞くと涙でてくるわ。」


健作

「被爆した時は『日本人』だったんだから、せめて日本人並みにとは思うだろ うな。」


たか子

「そう、日本には原爆二法があって、年間予算が1300億円以上。韓国の場 合、47年間放置されてきた歴史も考えれば、40億円も微々たるもの。補償も 当然よ。それと、もう一つ深刻なのが被爆者の高齢化。」


きよし

「もう時間があんまりないわな。」


たか子

「”人生で何もいいことがなかった。早く死にたい”って言う在韓の被爆者に 本当に何が出来るのか。私、こんな”恨”(ハン)を持っていって欲しくない。 」


健作

「そうだね、僕にも何か出来ることあるかなあ。」


きよし

「小さなことからコツコツと、やで。」

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