全ての被爆者に平等の援護を!

〜在韓被爆者・李康寧(イ・カンニョン)さんの
健康管理手当の支給を求める
裁判提訴にあたっての声明〜


1945年8月9日、長崎に落とされた原子爆弾は長崎の街を廃墟にしたばかりか、多くの市民の尊い生命を奪い、その強烈な放射線により多くの「被爆者」をうみだした。老若男女を問わず、また、日本人ばかりでなく多くの韓国・朝鮮人、そして中国人、また、捕虜として収容されていたアメリカ人やイギリス人、オランダ人等のうえにも襲いかかった。
 韓国人被爆者・李康寧(ィ・カンニョン〉さんは1945年長崎の三菱兵器大橋工場に徴用され、爆心地から2.5キロメートルにある宿舎の本蓮寺において原爆にあった被爆者である。
 李康寧さん(韓国釜山市在住 昭和2年9月24日生まれ〉は、平成6年7月に支援団体の招きで3カ月の渡日治療を受け、そのときに健康管理手当を受給するに至った。健康管理手当証書には「平成6年8月より平成9年7月までの支給期間」とある。それにもかかわらず、10月に帰国すると同時に健康管理手当の支給は打ち切られてしまった。被爆者が居所を移しただけで、被爆者援護法の適用をうけられないのは、明らかに被爆者差別である。被爆者は等しく援護を受けられなければならない。被爆者に国境も差別もあってはならない。
 この未曾有の惨劇を受けた被爆者はどこにいても日本政府の責任において援護されるべきである。

被爆者援護法のいかなる条文にも国籍条項の居住地制限の記載はない。厚生省公衆衛生局長通達(昭和49年〉により被爆者援護法の適用範囲を.「国内に現存する被爆者」としている現在の法解釈は不当である。被爆者援護法の立法の精神は1978年3月30日の最高裁判決にあるとおり「原爆被爆という特殊な戦争被害について戦争遂行主体であった国が自らの責任においてその救済をはかる」というものである。また、被爆者のおかれている特別の健康状態を救済ずるという入道的目的にもたっている。被爆者であれば在外被爆者であろうが、外国人被爆者であろうが同法の適用を認めて救済を図ることが同法のもつ国家補償の趣旨にも適合するのではないだろうか。現在、被爆者援護法の適用を受けられない、アメリカやブラジルに居住する日本人被爆者、そして、韓国・朝鮮人、中国人をはじめとする外国人被爆者のために、「全ての被爆者に援護法の適用を」求めて、李康寧さんはたたかいを始めた。良識ある判決を求めて、たたかいを進める決意を込めて提訴にあたっての声明とする。
          1999年5月31日
                原告李康寧
                支援者一同


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