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「ヒロシマを持ちかえった人々」
〜「韓国の広島」はなぜ生まれたのか〜

 (A5版、368ページ) 

発行:凱風社  2000年11月30日
    2600円+税


在韓被爆者が生きてきた二〇世紀一〇〇年の歴史を掘り起こし、記録する。今こそ心からの謝罪と補償を・・・・。


〜まえがきより

二〇世紀最後の八月六日、大韓赤十字社ソウル支社において、韓国原爆被害者協会(以下、協会)主催の「第三三回韓国原爆犠牲者追悼式」が行われた。
 追悼式では、在韓被爆者の援護と被害補償を求めて一九六七年に協会を創立し、翌年八月六日に「第一回韓国人原爆犠牲者慰霊祭」を敢行した徐錫佑さんが、祭壇の前で、誰よりも深々と長い祈りを捧げた。
 原爆の火の海のなかで愛娘二人を亡くしてから五五年、協会を創立してからでも三三年。その長い歳月のあいだに、妻が、数多くの協会運動の盟友たちが、補償も援護も受けられず、原爆後障害に苦しみながら、この世を去っていった。徐錫佑さんの静かな祈りは永遠に続くかのようであった。
 日本は、自らが今世紀前半に犯した大きな過ちを、とうとう今世紀中に償うことができなかった。
 わたしは祭壇の前に立ち、そのことを、日本によって人権を蹂躙され、命までも奪われた数万名もの韓国人原爆犠牲者に詫びた。そして、たとえ二一世紀になろうとも、一人でも多くの在韓被爆者が生きているうちに、「生きていてよかった」と思えるような補償と援護を実現するために、力を尽くすことを誓った。
 四半世紀間、協会運動を先導した辛泳洙さんが、苦難の原爆人生と引き替えに遺していった言葉がある。

 韓国被爆者は純全に他意によって、自身の欲望と幸福を踏みにじられたのである。我々は誰一人わかってくれる者さえいないまま、強大国間の戦争の犠牲になり、人類史上空前の非人道的兵器の犠牲になり、言うなれば核時代の十字架を一人背負って死んでいく無念な集団なのである。・・・・人類全体は我々韓国原爆被害者の惨状に目を向けなければならない。その原因を突き止め、明らかにし、考えてみなければならない。その対策を準備し、救済しなければならず、二度とこのような不幸と不条理が地球上で再発されないよう心に銘じることが、必ずや世界平和への道でもあるのだ。…韓国被爆者の問題は、けっして過ぎ去った昔の話ではない。ますます今日的な、我々人類が深く考えなければならない人類自身の課題を抱えた、ますます現実的な主題でもあるのだ(朴秀馥著『声もなく、名もなく−韓国原爆被害者三〇年の記録』の序文より)。

『ヒロシマを持ち帰った人々−「韓国の広島」はなぜ生まれたのか』は、在韓被爆者が生きてきた二〇世紀一〇〇年の歴史を、二〇世紀後半を生きてきた一人の日本人の視点から、掘り起こし、検討し、記録したものである。これは、わたし自身が親の世代から受け継いだ、大きな負の遺産の記録でもある。
 願わくば、この本が、韓国原爆被害者の惨状の原因を突き止め、明らかにし、その対策を準備するための、一粒の小さな種とならんことを。そして、この本を読んでくださる方の心に、辛泳洙さんの遺した言葉が、たんぽぽの綿毛のごとく飛びひろがらんことを。


目次

第1部 在韓被爆者 闘いの軌跡
第I章 見捨てられた在韓被爆者(1945〜1966年)
恐るべき原子爆弾/被爆者の10人に1人が朝鮮人/在韓被爆者と呼ばれて/祖国の闇に葬られて/日本では被爆者援護始まる/日韓条約で政治の谷間に

第2章 立ちあがった在韓被爆者(1967〜1978年)
「座して死を待つことはできない!」と協会結成/「からだを治して!」と日本に直訴/孫振斗さん密入国、日本で支援始まる/孫振斗さんの手帳裁判闘争/「補償なるか」と期待高まるが・・・/日本での治療の道、開かれる

第3章 補償を拒みつづける日本政府(1979〜1989年)
日韓の被爆者分断と渡日治療/在韓被爆者排除の基本懇意見書/1970年代末の在韓被爆者の実態/焼け石に水の渡日活豪/23億ドル対日補償請求/戦後未処理問題として浮上

第4章人道的支援ではなく補償を(1990年〜)大統領訪日で解決か/屈辱の人道的医療支援金40億円/1990年代初頭の在韓被爆者の実態/40億円で何が変わったか/被爆者援護法でも蚊帳の外/戦後補償裁判に連なって/「生きていてよかった」と思えるように

第2部 「韓国の広島」を生みだしたもの

序章 陝川との出会い
在韓被爆者調査に参加/在韓被爆者との出会い/在韓被爆者問題の出発点/陝川との出会い/遅すぎた謎解き

第1章 「韓国の広島」と呼ばれる陝川
陝川というところ/「韓国の広島」と呼ばれる理由

第2章 陝川における日本の植民地政策とその実態
1 「韓国併合」前夜の陝川
朝鮮侵略の野望/侵略者日本人の目に映った陝川
2 植民地支配の実態
第1期 武力で築く支配基盤(1910〜1919年)/3・1独立運動 独立に命をかけた陝川の人々(1919年3月〜4月)/第2期 作れ作れの米・棉花・繭(1920〜1930年)/第3期 兵站基地作りの農民振興運動(1931〜1936年)/第4期 人も物も侵略戦争に駆りだされた(1937〜1945年)

第3章 陝川の人々の暮らし
総督府主導による農産物の増産政策/農村の衰退がはっきりと現れた1920年代/農村の疲弊が急加速の1930年代/農家に赤字をもたらしたもの/「草根木皮」の生活で延命/自作農から小作農へ没落/自然災害で農村疲弊がさらに激化

第4章 広島と朝鮮人
1 軍都広島の形成
日清戦争で軍都への道/侵略戦争とともに肥大化
2 広島の朝鮮人
広島在住の朝鮮人数/朝鮮人にたいする渡航政策

第5章 陝川から広島への道
陝川と広島を結ぶ太いパイプ/人々を広島に向かわせたもの/広島に向かう人々の流れ/パイプは地縁・血縁で作られた/パイプが通じた広島の町/パイプの鍵となる人物/広島での暮らし

終章 原爆地獄から祖国への道
広島市の原爆被害/陝川出身者の原爆被害/祖国の解放と帰国/「韓国の広島」という異名をとった陝川

〈年表〉 内外被爆者 不平等の系譜


お問い合わせは事務局
または yuu@hiroshima-cdas.or.jp


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