森田隆さんとブラジルの被爆者の皆さんを支援してください! 

訴状

在外被爆者健康管理手当等請求事件
 (在ブラジル被爆者・森田隆裁判)
2002年3月1日 広島地裁に提訴


訴  状

2002年(平成14年)3月1日 

広島地方裁判所 民事部 御中

        原告訴訟代理人弁護士   中   丸   正   三

同      弁護士   足   立   修   一

同      弁護士   山   口   格   之

同      弁護士   奥   野   修   士

 在外被爆者健康管理手当等請求事件


   訴訟物の価額 金200万7070円
   貼用印紙の額 金1万6300円
   予納郵券額  金1万0170円




当事者の表示

 ブラジル連邦共和国サンパウロ州サンパウロ市○○
          原  告   森  田   隆
 〒730‐0012 広島市中区上八丁堀8−20 井上ビル3階
  TEL 082‐227‐2411 FAX 082‐227‐6699 
          原告代理人 弁護士  中  丸  正  三
 同 所
          同     弁護士  奥  野  修  士
 〒730‐0004 広島市中区東白島町18番13号 東白島ビル201号
  TEL 082‐211‐2441 FAX 082‐211‐3331
(送達場所)
         同     弁護士  足  立  修  一
 〒730‐0014 広島市中区上幟町3番20号 なか島ビル3階
  TEL 082‐228‐2458 FAX 082‐227‐8431
         同     弁護士  山  口  格  之

 〒100-0013 東京都千代田区霞が関1丁目1番1号
          被     告    国
          代表者法務大臣    森  山  眞  弓

 〒730-8511 広島市中区基町10ー52 広島県庁 
          被     告    広   島    県
          代表者知事      藤  田  雄  山

請 求 の 趣 旨

1 原告と被告国との間で、原告が原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律(平成6年法律第117号)に定める被爆者健康手帳(1996年6月交付)の交付をもって取得した被爆者援護法1条1号に定める被爆者たる地位にあること、および、同法に定める健康管理手当証書(記号番号・038322−4)の交付をもって取得した健康管理手当受給権者たる地位にあることを各確認する。
2 被告国及び被告広島県は、原告に対し、各自金137万円及びこれに対する年5分の割合による金員を支払え。
3 原告は,被告国及び被告広島県との間で、原告が被爆者援護法に基いて,1996年8月から1998年2月まで支払いを受けた健康管理手当合計金63万7070円を被告らに返還する義務がないことを確認する。
4 訴訟費用は被告らの負担とする。
5 仮執行宣言。


請 求 の 原 因

一 原告および原子爆弾による被爆の事実
1 原告は、1924年(大正13年)3月2日、広島県佐伯郡砂谷(さごたに)村(現在は,広島県佐伯郡湯来町)で出生した。 
2 原告は、1944年(昭和19年)11月,召集を受け徴兵された。
  原告は,現役兵として静岡県浜松市の三方が原航空隊に入隊した後、憲兵を志願して合格し、1945年(昭和20年)1月に東京中野の憲兵学校に入学した。同年7月31日に卒業し,翌8月1日に、陸軍憲兵中国憲兵隊司令部に配属され、広島に赴任した。
  原告は,8月6日午前8時、警戒警報が解除されたとのニュースをラジオで聴いたので、己斐山腹に作っていた防空壕の仕上げに従事するため、同僚の南憲兵と11名の補助憲兵を率いて猫屋町にあった憲兵司令部を出発した。
  原告を含む一行は、土橋より横川行きの電車に乗り、寺町で下車し、隊列を整えて横川の電車橋を渡り、西に向かっていた。午前8時15分頃,突然、それまでには見たこともない猛烈な閃光を感じたかと思うと、4、5メートルほど前方に吹き飛ばされ、路上にうつ伏せ状になった。原告は,顔を上げた瞬間、背後より強烈な熱線で首の後部を焼かれたように感じ、次の瞬間には、遙か前方に見えていた学校らしき建物が、まるでマッチ箱を潰したように、グアーっと音を立てるような感じで崩れた。このようにして,原告は、爆心地から約1.5キロメートルの地点で被爆し,後背部に全身火傷を負った。
  その後,原告らは,己斐の山まで行き,そこで,広島市内が爆弾で焼け野原となり、壊滅状態になっているのを見た。そして、憲兵として,市内を見て回ることにして救助活動に従事した。原告は,翌7日及び翌々日8日も憲兵司令部での任務についていたため,長期間放射能に曝露されることになった。そして、同月9日には、とうとう動けなくなり、大野浦の小学校を利用して作られた臨時陸軍病院に入院した。その後,原爆を被爆したことによる後障害として白血病などの症状が現れた。
3 1956年になって,原告は、ブラジルからの帰国者の勧めと外務省の奨励などもあったため,妻綾子と子ども2人を連れて,ブラジルに移住した。移住後は,言葉が通じないことなどから,苦しい生活を送ってきた。現在,原告は,サンパウロ市で食料品店を営むに至っている。

二 被爆者健康手帳の取得について
1 1984年1月25日,日伯毎日新聞は,在ブラジルの日本都道府県県人会連合会事務局が,「原爆被爆者への,日本政府による年金支給制度がまだ生きており,移住者にも適用されているので該当者は領事館に届けたらいい」と勧めているとの報道を行った(甲1・日伯毎日新聞)。これを見た原告は,同年3月,在ブラジルの被爆者の団結を呼びかけ(甲2・サンパウロ新聞),同年7月には,集まった被爆者とともに,ブラジルで「在ブラジル原爆被爆者協会」を設立することになった(甲3・パウリスタ新聞)。
2 1984年(昭和59年)9月、原告は、ブラジルから日本に帰国し,ブラジルに在住する被爆者に対する対策を働きかけるため,外務省,厚生省,広島県,広島市,長崎県,長崎市などの関係機関を訪問し,在ブラジル被爆者の実情を訴えた。なお,原告は,ブラジル移住後初めての帰国の機会であったこのときに被爆者健康手帳を交付を受けた。
3 原告は、1996年(平成8年)6月にも,日本に帰国し、このときにも被爆者健康手帳を取得した。
4 1996年7月1日に,内分泌腺機能障害を認定され、健康管理手当証書(記号番号038322−4)の交付を受け,同月から2001年6月まで健康管理手当を受給しうることになった(甲4・健康管理手当証書)。
5 その後,毎年のように,日本に帰国して,在ブラジルの被爆者のための援護措置を求めて,外務省,厚生労働省(従前は厚生省)広島県,広島市などに働きかけをして来た。

三 出国、移住による健康管理手当の不支給
1 被告広島県は、原告に対し、1998年3月支給分から2001年6月支給分までの健康管理手当40か月分を支払っていない。手当月額は1996年7月からは月額金3万3530円,1998年4月からは,月額3万4130円,1999年4月からは,月額3万4330円であるところ,原告に対する不支給額合計は,金137万円となる。
2 この期間は原告がブラジルに出国している期間と日本に帰住している期間を含む。

四 出国期間中の健康管理手当受給
1 原告は,1996年7月20日に日本を出国した。被告らの行っている違法な通達(1974年7月22日衛発第402号厚生省公衆衛生局長通達)に基づく行政実務では,「日本国の領域を超えて居住地を移した被爆者には」,「健康管理手当は失権の取扱いとなる」として,健康管理手当の支給を行わないことになっていたが,被告広島県は原告に対して,1996年8月分から1998年2月分までの健康管理手当(月額3万3,530円)を合計63万7070円の支給を受けた(甲5・預金通帳)。
2 ところが,被告広島県は、前記通達の存在により,日本国の領域を越えて居住地を移した者については手当受給権が失権することを理由として,金63万7070円について過誤払いとして健康管理手当は,返還を求める態度を取っている。そして,広島県福祉保健部長名の1998年11月26日付けの「原爆被爆者手当の返納について(通知)」という書面(甲6)で,前記金員の返還を求めてきた。

五 よって、以上により、原告は、請求の趣旨に記載のとおりの判決を求めるため,本訴に及ぶ。





証 拠 方 法
甲1 日伯毎日新聞記事
甲2 サンパウロ新聞記事
甲3 パウリスタ新聞記事
甲4 健康管理手当証書
甲5 預金通帳
甲6 「原爆被爆者手当の返納について(通知)」


添  付  書  類
 1 訴状副本                 2通
 2 甲号証写し               各2通
 3 訴訟委任状                1通

以 上



(2002.3.13 3月6日提出の訴状訂正書に基づき一部訂正しました)
(2002.4.9 「ブラジル合衆国」を「ブラジル連邦共和国」に訂正しました。)


森田隆さんのコーナーへ戻る