訴 状

訴  状

   2001年(平成13年)10月3日

大阪地方裁判所 民事部 御中

在韓被爆者手帳訴訟

訴訟物の価額 2,050,000円
貼用印紙の額   16,300円

当事者の表示

大韓民国慶尚南道陜川郡○○
原 告 李 在錫


               

〒100-0013 東京都千代田区霞が関1丁目1番1号
被 告 日本国
代表者法務大臣 森山眞弓

〒540-0008 大阪市中央区大手前2-1-22 大阪府庁 
被 告 大阪府
代表者知事 齋藤房江  




請求の趣旨

1 原告と被告日本国との間で、原告が原子爆弾被爆者に対する援護に関する法 律(平成6年法 律第117号)に定める被爆者健康手帳(被爆者健康手帳番号・ 020570-8)の交付をもって取得 した同法1条1号に定める被爆者たる地位にあること、同法11条1項の認定を受けた被爆者たる 地位にあること(認定年月日 ・1996年(平成8年)12月9日、認定番号009673-5)、および、同  法に定める 特別手当証書(記号番号・トク00290、被爆者健康手帳番号020570-8)の交付
 をもって取得した特別手当受給権者たる地位にあることを各確認する。

2 被告大阪府は、原告に対し、金309,300円及び2001年(平成13年)10月末 日以降原告の死亡  する月まで毎月末日限り金51,550円を支払え。

3 被告日本国および被告大阪府は、原告に対し、各自連帯して金110万円と2001 年(平成13年  )4月25日から上記支払い済みにいたるまで年5分の割合によ る金員を支払え。

4 訴訟費用は被告らの負担とする。
  との判決並びに仮執行宣言をもとめる。



請求の原因

一 原告および原子爆弾による被爆の事実

 1 原告は、1933年(昭和8年)3月13日、広島市千田町1丁目514番地で
   出生した。名前は、イ ジェソックである。
   原告の両親は、1930年(昭和5年)か1931年(昭和6年)頃、当時、被
   告日本国の植民地支配下にあった朝鮮の慶尚南道陜川郡で農業を営んでいた
   ところ、生活が成り立たなくなり、仕事を求めて広島に渡ったものであった。

 2 原告は、広島市の千田国民学校を卒業後、1945年(昭和20年)に広島県
   立商業学校に入学した。原告の家族は、父母、弟、妹2人の6人家族であっ
   た(当時)。原告一家は同年7月末に、千田町から三篠本町に引っ越したとこ
   ろ、その10日後の8月6日、アメリカ軍が投下した原子爆弾により、一家全
   員が被爆し、原告の末妹は即死した。原告は、爆心地から約1.7キロメート
   ルの自宅で被爆し、九死に一生を得た。

 3 原告は、現在、原爆後障害と戦いながら、肩書地で農業を営んでいる。



二 渡日治療と法第11条第1項に定める「厚生大臣の認定」を受けた経緯

 1 原告は、生き残った家族と共に、第2次世界大戦後、被告日本国の植民地
   支配から解放された祖国に帰国し、慶尚南道陜川郡での生活を始めた。しか
   し、原告の父は、その後まもなく病で亡くなった。原告は、生まれて初めて
   目の当たりにする祖国であったが、母国語も分からず、安定した職に就くこ
   ともできなかった。それでも原告は、一家を支えるために、必死で言葉を覚
   え、過酷な労働にも耐えた。
    同時に原告は、1970年(昭和45年)頃には、「韓国原爆被害者協会陜川支
   部」に加入し、被爆者の掘り起こしにも努めた。

 2 1986年(昭和61年)、原告は、被告日本国政府による「渡日治療」の開始
   によって広島の原爆病院に入院し、初めて「被爆者健康手帳」を取得した。
   原告は、約2か月の治療を終えた後に、帰国した。

 3 原告は、1995年(平成7年)11月にも来日し、新たに被爆者健康手帳を取
   得し、原爆後障害治療のために広島市民病院に入院した。
   同病院では、原爆被爆によって下唇に生じたケロイドの治療につき、被爆
   者援護法第10条の医療の給付を受けるために、被爆者援護法第11条1項の
   認定申請を行った。原告は、その後、翌年2月に帰国した。

 4 原告は、翌1996年(平成8年)11月にも治療のため来日し、被爆者健康
   手帳(健康手帳番号543415-4)を取得し、同月18日から広島市民病院に入
   院して、下唇のケロイドの手術を受けた。
   原告は、同病院入院中、12月18日付で広島市長から「12月9日付で被爆
   者援護法第11条第1項の認定を受けた(認定番号009673-5)」旨の通知(甲
   1)を受け取り、厚生省保健医療局長からは12月9日付で「認定前の医療に
   かかる医療費の支給申請について(通知)」(甲2)を受け取った。
   ちなみに、現在、被爆者健康手帳を取得している被爆者約29万人の内、こ
   の法11条の認定を受けることができている者は、2100人程度しかいない(約
   0.7%)。



三 医療特別手当受給権の取得と支給が終了した経緯

 1 前記の認定に伴い、原告は、1996年(平成8年)12月13日付で広島市長
  より、被爆者援護法第24条の医療特別手当(月額136,350円)支給の認定を
  受け、「記号番号・ひしい006747、被爆者健康手帳番号・543415-4、支給開
  始年月・平成8年12月から、健康状況届提出年月・平成11年5月」等と記
  載された「医療特別手当証書」(甲3)の交付を受けた。
   しかるに広島市衛生局原爆被害対策部援護課長名で、12月18日付医療特
  別手当に関する書面(甲4)が出され、同書面には、「日本を出国された場合
  は、証書に記載された支給期間にかかわらず、出国の翌月分以降の手当は支
  給できませんので」ご注意下さい等と記載されていた。

 2 翌1997年(平成9年)2月、原告につき、下唇のケロイドの手術及びその
  後の治療が一通り完了して、「当該認定に係る負傷又は疾病の状態にあるもの」
  (同法24条1項)との要件に該当しなくなったため、法24条4項に「医療
  特別手当の支給は、・・・第1項に規定する要件に該当しなくなった日の属す
  る月で終わる。」と規定されているとおり、前記医療特別手当の支給は同年2
  月分の支給で終了した。



四 手帳の再交付にもかかわらず認定番号が継続していた経緯

 1 原告は、所用で再来日し、1999年(平成11年)5月17日から同月22日
  の間、広島を訪れ、「被爆者健康手帳番号5468269」の被爆者健康手帳を広島
  市において取得した。原告はこのときは、治療も手当の申請等も行わず、手
  帳の取得だけを行って帰国した。

 2 なお、この手帳交付の際に、健康手帳番号は前回のもの(543415-4)と異
  なるものの、広島市は、手帳の表紙の裏に、「滞在予定期間」というゴム印と
  ともに、「法律11条第1項の認定」なるゴム印を押し、「認定年月日H8.2.
  9、認定番号009673-5」と、1996年(平成8年)の来日時に受けた認定に関
  する事項を記入し同じ認定番号(009673-5)を記載した(甲5。なお、認定
  の月日には記入間違いがある。正しくは12月9日)。



五 法第11条の認定の継続と特別手当受給権を取得した経緯

 1 原告は、2000年(平成12年)12月13日に治療のため来日し、同日、原告
  は、大阪府知事より、「被爆者健康手帳番号・0205708」(甲6)の被爆者手帳
  を取得し、大阪府松原市の阪南中央病院に入院し、腰部、頸部痛、脊椎変形
  症、白内障等の原爆後障害の治療を受けた。

 2 上記手帳交付を受けた際に、原告の代理人が大阪府の担当官に「原告は4
  年前に広島において法第11条の認定被爆者の認定を受けているが、特別手当
  の申請はできるのか」と尋ねたところ、担当係官は「在外被爆者はいったん
  出国すると被爆者健康手帳が失権するので、この認定も失権するものと考え
  られるが、よく分からないので、厚生省に問い合わせて返答する」とのこと
  であった。
   数日後に、その担当係官より「厚生省から特別手当の申請ができるとの返
  答が来たので、こちらから送る申請用紙の空欄に記入して提出するように」
  との連絡があり、「負傷又は、疾病の名称・認定番号・認定年月日」の欄があ
  らかじめ記入された「特別手当認定申請書」(甲7)がファックスで送られて
  きた。そこで、原告は、2000年(平成12年)12月末までに、被爆者援護法
  第25条が定める特別手当の申請を行った。

 3 上記申請によって、原告は、2001年(平成13年)1月18日付で、大阪府
  知事から「記号番号・トク00290、被爆者健康手帳番号・020570-8、月額51,550
  円、支給期間平成13年1月から(終期は***で末梢されている)」と記載
  された「特別手当証書」(甲8)の交付を受け、特別手当の受給権を得た。
   しかるに、同日、大阪府健康福祉部医務・福祉指導室長名で、「特別手当支
  給受給権の認定について(通知)」(甲9)の送付も受け、同書面には、「日
  本国を出国された場合は、証書に記載された支給期間にかかわらず、出国さ
  れた月の翌月分以降の手当は支給できません」等と記載されていた。



六 特別手当の支給およびその支給が打ち切られた経緯

 1 原告は、2001年(平成13年)3月6日、代理人らとともに大阪府庁に出
  向き、大阪府知事宛に「特別手当に関する要望」(甲10)を提出した。上述
  の特別手当の申請と受給認定の経緯に鑑みれば、原告が1996年(平成8年)
  に受けた認定が認定番号も同じで、韓国に帰国しても失権等しないのであり、
  そうである以上、韓国帰国後も特別手当が支払われるべきである。もし、支
  払えないのであれば、その理由を文書で回答するようにと申し入れた(甲11)。

 2 これに応対した大阪府健康福祉部医務・福祉指導室医療対策課の久木元秀
  平課長補佐と、葛野健太郎援護総括は、「厚生労働省とも相談して、文書で回
  答する」と返答するにとどまった。

 3 原告は、2001年(平成13年)3月10日に阪南中央病院を退院し、同日、
  韓国に帰国した。

 4 被告大阪府は、原告に対し、2001年(平成13年)1月25日、2月23日、
  3月23日の3か月にわたり、月額51,550円の送金をなし、特別手当の支給
  を行った。しかるに、原告帰国後の同年4月分からは、何の理由付けもなく
  一切支給をして来ず(甲12)、また、要求した文書回答もしてこなかった。



七 特別手当支給打ち切りの違法性・不当性

 1 被告大阪府は、原告代理人による度重なる催促の末、ようやく、2001年(平
  成13年)7月24日付で、原告からの要望に対する文書による回答として「特
  別手当に関する要望について(回答)」(甲13)を、送付してきた。

 2 その回答は、「原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律は、法制定当時の
  経緯、法の性格、構造等から日本に居住又は現在する者のみを適用対象とし
  ているので、被爆者健康手帳(法第2条)の交付を受けた者であっても、日
  本に居住も現在もしなくなることにより、法第1条に定める『被爆者』たる
  地位を失うことになります。この場合、法で定める特別手当等の受給権も同
  時に喪失します。」などと説明しつつ、「しかしながら、法第11条の1項の規
  定による認定は、当該負傷又は疾病が原子爆弾の傷害作用に起因する旨の事
  実の認定ですから、このような認定を過去に受けた事実そのものはなくなる
  ことがありません。このため、一度当該認定を受けたことがある者であれば、
  当該認定を過去に受けた事実を支給要件とする『特別手当(法第25条)』の
  支給申請については、改めて法第11条第1項の規定による認定を申請する必
  要はなく、法第25条の規定による特別手当の支給に係る新規申請手続を行う
  ことで足りることになります。」等と説明している。

 3 しかし、当該の被爆者について、法第11条1項の規定による認定を受けた
  事実が消えないことを認めているにもかかわらず、認定された被爆者は、地
  球上どこにいても被爆者であるという事実は認めようとせず、出国によって
  被爆者健康手帳そのものが失効するという不自然な法律の規定に基づかない
  法解釈、法運用を維持し続けようとせんがために、手帳の失効による特別手
  当受給権の喪失を結論付け、特別手当の新規申請が必要であると強弁し続け
  ており、意味不明、論理矛盾で説明にならない説明に終始している。

4 特別手当の支給の始期および終期は、法文上明記されている。
  すなわち、法第25条4項は、「特別手当の支給は、第2項の認定を受けた
  者が同項の認定の申請をした日の属する月の翌月から始め、第1項に規定す
  る要件に該当しなくなった日の属する月で終わる。」と規定しているところ、
  法25条の「第1項」は、「都道府県知事は、第11条第1項の認定を受けた者
  に対し、特別手当を支給する。ただし、その者が医療特別手当の支給を受け
  ている場合は、この限りではない。」と規定し、@医療特別手当の支給を受け
  ることになった場合、および、A法第11条1項の認定を受けなくなった場合
  のみが形式上終期と考えられるが、Aの場合は死亡しか解釈できず、被爆者
  の「出国」をこれに含めて解釈することはできない。また、事実、被告日本
  国も法第11条1項の認定については、「このような認定を過去に受けた事実
  そのものについては、無くなることはありません。」(甲13)との回答を寄せ
  てきており、原告について、「第1項に規定する要件に該当しなくなった日」
  とは、原告死亡の日としか法文上解釈できないのである。

 5 しかるに被告らは、敢えて法の明文に反する解釈を通達等から導いて原告
  の被爆者たる地位等を否定し、手当の支給を停止したが、このような、法律
  の規定に基づかない恣意的な行政解釈、行政運用は、法「解釈」の名に値せ
  ず、高齢で原爆後障害に苦しむ在外の原告ら被爆者を差別し、愚弄するもの
  である。非人道的であることは勿論のこと、法の明文に明らかに反しており、
  その主張の根拠薄弱性、恣意性、自らが行う説明との明らかな論理矛盾性等
  の故に「一応の論拠」と言うべきものもない。国賠法1条1項の故意又は過
  失を認めるに足りる特段の事情があると言うべきであり、被告らの非人道的
  法解釈、法運用が、原告に対する不法行為を構成することは、明らかである。

 6 原告の損害としては、慰謝料100万円、弁護士費用10万円を下ることはな
  いと思料する。



八 結 語

  よって、以上により、原告は、請求の趣旨に記載したとおり、原告と被告日
 本国との間で、@原告が被爆者援護法に定める被爆者健康手帳(被爆者健康手
 帳番号・020570-8)の交付をもって取得した同法1条1号に定める被爆者たる
 地位にあること、A同法11条1項の認定を受けた被爆者たる地位にあること(認
 定年月日・1996年(平成8年)12月9日、認定番号009673-5)、および、B同
 法に定める特別手当証書(記号番号・トク00290、被爆者健康手帳番号020570-8)
 の交付をもって取得した特別手当受給権者たる地位にあることを各確認すると
 ともに、この認定された地位に基づき、被告大阪府に対しては、2001年(平成13
 年)4月から本件を提訴した9月分までの特別手当6か月分、合計金309,300
  円及び提訴後の2001年(平成1)10月末日から原告の死亡する月までの請求と
 して、毎月末日限り金51,550円の特別手当の支払いを求め、さらに、国家賠償
 請求に基づく損害賠償請求として、被告日本国および被告大阪府に対して、各
 自連帯して金110万円の損害賠償と特別手当不支給という不法行為の日である
 2001年(平成13年)4月25日から支払い済みに至るまで民法所定の遅延損害
 金の賠償を求めて、本訴に及んだ。


証拠方法

甲第1号証  1996年(平成8年)12月18日付「原子爆弾被爆者に対する援護
         に関する法律第11条第1項の認定について(通知)」と題する通
         知書
甲第2号証  1996年(平成8年)12月9日付「認定前の医療に係る医療費の支
         給申請について(通知)」と題する通知書
甲第3号証  1996年(平成8年)12月13日付の医療特別手当証書
甲第4号証  1996年(平成8年)12月18日付の医療特別手当に関する書面
甲第5号証  1999年(平成11年)5月17日、広島市にて取得した被爆者健康
         手帳(手帳番号5468269)
甲第6号証  2000年(平成12年)12月13日、大阪府にて取得した被爆者健康
         手帳(手帳番号0205708)
甲第7号証  特別手当認定申請書
甲第8号証  2001年(平成13年)1月18日付の特別手当証書
甲第9号証  2001年(平成13年)1月18日付「特別手当受給権の認定につい
         て(通知)」と題する通知書
甲第10号証  2001年(平成13年)3月6日付の「特別手当に関する要望」
          と題する要望書
甲第11号証  2001年(平成13年)3月7日付の新聞記事(読売新聞、朝日新
         聞、毎日新聞)
甲第12号証  李在錫名義の水都信用金庫の総合口座通帳
甲第13号証  2001年(平成13年)7月24日付の「特別手当に関する要望に
          ついて(回答)」と題する回答書


添 付 書 類

 1 甲号証 写し各2通
 2 訴訟委任状 1通

以  上


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