おかだだいさんからの
李在錫裁判傍聴報告



(右端が李在錫さん、おかだだいさんより提供)


5月23日

 李在錫裁判一審の最大の山場を迎えました。原告である李在錫さんの本人尋問です。在錫さんはこの日、郷里ハプチョンから多くの親戚を連れてきていました。おそらくこの日が人生最大の晴れ舞台だと思ったからでしょう。法廷に立った在錫さんがガチガチに緊張しているのが、傍聴席にいる私にも痛いように伝わってきました。
 在錫さんは日本で生まれ、広島で被爆しました。彼自身幼いときから自分は日本人だと思っていて、皇国史観・軍国主義を植え付けられ、「自分はお国のために死ぬのだ」と思っていたそうです。被爆した後も在錫さんは日本で生きていくのだと思っていたそうですが、父親の原爆症が悪化し帰国を切望。しかしその父親も帰国後程なく亡くなったそうです。
 在錫さんは亡くなった父親を継いで、一家を支えていかなければなりませんでした。ハングルも喋れず、学校へも行けず。在錫さんの人生は生きていくための闘いだったのでしょう。在錫さんの苦しみが傍聴席にもひたひた伝わり、「この苦しみが分からぬ裁判官ならば人間たる資格はない!」とまで思いました。
 私は在錫さんの話を聞きながら、つれあいのアゼ(叔父)の話を思い出しました。叔父は戦中北九州の炭坑を転々とし、解放後帰国するつもりでいたものの、ボロ船で玄界灘に踏み出しながら浜に打ち上げられる屍を見て、帰国を思い留まったそうです。(当たり前ですが、それでも郷愁の念は止むことがないようです。)ついこの前の正月、つれあいのアゼは多少は辛そうに、ハングル訛の日本語で語ってくれました。
 在錫さんとつれあいのアゼとの違いが、私には見いだせません。(誤解されそうなので念のために申し上げますが、つれあいの叔父は被爆者ではありません。)ふたりの違いは船に乗ったか否かです。たったそれだけの違いです。船に乗るのに思いとどまった被爆者は援護法の適用を受け、船に乗って無事半島に辿り着き、あの凄惨な朝鮮戦争を生き抜いた被爆者が援護法を受けられない?! その両者に何の違いがあるというのでしょう。
 厚労省は郭貴勲一審勝訴を受け、在外被爆者に対し渡日医療を軸とした支援を実施しましたが、既に頓挫しています。そればかりか、厚労省の不誠実な態度に怒った在ブラジル日本人被爆者が提訴を起こし、後に続く者も続出しています。(弱った体でブラジルから渡日医療を受けたいと思うでしょうか!)本来ならばもう厚労省は手を挙げるべきなのです。「慰安婦」に対する国民基金も酷い施策でしたが、こちらは酷い日本の法制度上ですら成り立っていないのです。
 応援に駆けつけた日本人被爆者も仰っていましたが、被爆者にはもう時間がないのです。次々と亡くなっているのです。こんな言い方は間違っているのですが、それでもあえて言いたくなるのは、日本政府にとってどれほど腹が痛むというのか。人間を、戦後差別と病に苦しんできた人間の人生を弄ぶのもいい加減にしろ!

【平和に生きる権利】レター 第2号より転載させていただきました。
【平和に生きる権利】HPはこちらです。
郭貴勲裁判傍聴記もあります。
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■■■        東のニッポン・西のパレスチナ    ■■■
■■          2002−5−25                ■
文責・おかだだい                                                             

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