広瀬裁判 長崎地裁判決文


平成13年(行ウ)第10号 健康管理手当支給等請求事件

判決

長崎市若草町5番4号
  原告           廣瀬方人
  同訴訟代理人弁護士 龍田紘一朗
                小林清隆

東京都千代田区霞が関一丁目1番1号
  被告           国
  同代表者法務大臣  森山眞弓
長崎市桜町2番22号
  被告           長崎市
  同代表者市長     伊藤一長
長崎市桜町2番22号
  被告           長崎市長
                伊藤一長
  被告ら指定代理人   青木亮
                菅野俊明
                宮原善男
                渋田末明
                藤本洋行
                村木修
                山本知恵
  被告国指定代理人  日原知己
                岡山幸平
                宮沢憲司
                原田真紀子
                金山和弘
                成井 進
  被告長崎市及ぴ被告 長崎市長
  指定代理人       鳥山ふみ子
                松本章
                田崎信義
                光冨勝利

    主文

1 原告の被告らに対する訴えのうち,原告と被告らとの間において,原
  告が原子爆弾被爆者の医療等に関する法律に定める被爆者健康手帳の昭
  和32年6月14目付け申請にかかる交付をもって取得した被爆者たる
  地位が,原告の平成6年8月25日付け日本出国によって消失していな
  いことの確認を求める部分をいずれも却下する。

2 原告の被告長崎市長に対するその余の訴えをいずれも却下する。

3 被告国は、原告に対し,金33万円3920円及びこれに対する平成7
  年8月1日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。

4 原告と被告国及び被告長崎市との間で,原告には,原告が原子爆弾被
  爆者に対する援護に関する法律に基づいて平成7年9月から平成9年1
  月まで支払いを受けた健康管理手当合計金57万O010円を同被告ら
  に返還する義務がないことを確認する。

5 原告の被告国及び被告長崎市に対するその余の請求をいずれも棄却す
る。

6 訴訟費用は,原告に生じた費用の3分の1は被告国及び被告長崎市の,
  被告国及び被告長崎市に生じた各費用の2分の1は原告の,被告長崎市
  長に生じた費用は原告の各負担として,その余は各自の負担とする。


     事実及び理由

第1申立て

 1原告

  (1)原告と被告らとの間で,原告が原子爆弾被爆者の医療等に関する法律に定
める被爆者健康手帳の昭和32年6月14日付け申請にかかる交付をもって取得した被爆者たる地位は,原告の平成6年8月25日付け日本出国に
よって消失していないことを確認する。

  (2)被告らは,原告に対し,各自,金33万3920円及びこれに対する平成
7年8月1日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。

  (3)原告と被告らとの間で,原告が原子爆弾被爆者に対する特別措置に関する
法律に基づいて,平成7年9月から平成9年1月まで支払いを受けた健康管
理手当合計金57万O010円は被告らに返還する義務がないことを確認す
る。

  (4)被告国及び被告長崎市は,原告に対し,各自,金60万円を支払え。

  (5)訴訟費用は被告らの負担とする。

  (6)仮執行宣言

 2 被告 国

  (1)本案前の答弁
上記1(1)の訴えを却下する。

  (2)本案の答弁
   ア原告の請求をいずれも棄却する。
   イ訴訟費用は原告の負担とする。
   ウ仮執行免脱宣言

 3 被告 長崎市

  (1)本案前の答弁
 上記1(1)の訴えを却下する。

  (2)本案の答弁
   ア原告の請求(上記1の(1)ないし(3))をいずれも棄却する。
   イ訴訟費用は原告の負担とする。
   ウ仮執行免脱宣言

第2事案の概要

 本件は,長崎市に投下された原子爆弾によって被爆し,原子爆弾被爆者の医
療等に関する法律(昭和32年法律第41号。以下「原爆医療法」という。)
に基づいて被爆者健康手帳の交付を受け,原子爆弾被爆者に対する特別措置に
関する法律(昭和43年法律第53号。以下「原爆特別措置法」という。)に
基づいて(ただし、平成7年7月1日以降は上記各法律を一本化した原子爆弾
被爆者に対する援護に関する法律(平成6年法律第117号。以下「被爆者援
護法」という。)に基づいて)健康管理手当の支給を受けていた原告が,日本
国から出国して中国国内に居住していた間の同手当の支給に関連し,以下の各
請求を行った事件である。

   (1)被告らとの間で,原告が昭和32年6月14日付け申請に基づく被爆者健
康手帳の交付によって取得した被爆者たる地位が,原告の平成6年8月25
目の日本出国によって消失していないことの確認を求めた(第1の1(1)の請
求)。

   (2)被告ら各自に対し,出国を理由に支給されなかった平成6年10月分から
平成7年7月分までの健康管理手当合計33万3920円及びこれに対する
同年8月1日から支私済みまで民法所定年5分の割合による遅延損害金の支
払いを求めた(第1の1(2)の請求)。

   (3〕被告らとの間で,原告に支給された平成7年9月分から平成9年1月分ま
での健康管理手当合計57万円0010円について,出国を理由とする返還
義務の存在しないことの確認を求めた(第1の1(3〕の請求)。

    (4〕被告国及び被告長崎市各自に対し,国家賠償法(以下「国賠法」とい
う。)1条1項に基づき,慰謝料50万円及び弁護士費用10万円の合計6
0万円の支払いを求めた(第1の1(4)の請求)。


1基礎となる事実

 (1)関連法規・通知

   ア原爆医療法は,「広島市及び長崎市に投下された原子爆弾の被爆者が今
なお置かれている健康上の特別の状態にかんがみ,国が被爆者に対し健康
診断及び医療を行うことにより,その健康の保持及び向上をはかることを
目的」(1条)とするもので,被爆者が同法2条,3条に基づきその居住
地(居住地を有しないときはその現在地)の都道府県知事(その居住地が
広島市又は長崎市であるときは当該市の長。以下同じ。)に申請して被爆
者健康手帳の交付を受けたときは(以下,2条で定義された被爆者を,か
ぎ括弧付きの「被爆者」という。),都道府県知事において「被爆者」に
対し毎年健康診断を行うほか厚生大臣において同大臣の認定を経た「被
爆者」に対し必要な医療の給付又はこれに代わる医療費の支給を行うもの
としていた。

   イ原爆特別措置法(以下,同法と原爆医療法を一括するときは「原爆二
法」という。)は,「広島市及び長崎市に投下された原子爆弾の被爆者で
あって,原子爆弾の傷害作用の影響を受け,今なお特別の状態にあるもの
に対し,医療特別手当の支給等の措置を講ずることにより,その福祉を図
ることを目的」(1条)とするもので,医療特別手当のほか、特別手当や
健康管理手当等を「被爆者」に支給するものとし,健康管理手当について
は,都道府県知事(広島市又は長崎市については市長)において,「被爆
者であって,造血機能障害,肝臓機能障害その他の厚生省令で定める障害
を伴う疾病(原子爆弾の放射能の影響によるものでないことが明らかであ
るものを除く。)にかかっている」(5条1項)ことを認定するものとし
(同条3項によると,認定の際には同時に当該疾病が継続すると認められ
る期間を定めることになっている。),この認定によって「被爆者」は健
康管理手当の受給権を取得するものとされていた。

   ウ昭和49年7月22日,厚生省公衆衛生局長は,各都道府県知事,広島
市長及び長崎市長に対して,「原子爆弾被爆者の医療等に関する法律及ぴ
原子爆弾被爆者に対する特別措置に関する法律の一部を改正する法律等の
施行について」と題する通知(衛発第402号。以下「402号通知」と
いう。)を発し,そこでは,「特別手当受給権者は,死亡により失権する
ほか,同法(原爆特別措置法)は日本国内に居住関係を有する被爆者に対
し適用されるものであるので,日本国の領域を越えて居住地を移した被爆
者には同法の適用がないものと解されるものであり,従ってこの場合にも
特別手当は失権の取扱いになる」(第二の1(6)),「この場合(健康管理
手当受給権者が都道府県等の区域を越えて居住地を移した場合)の事務取
扱いは第二の1(6)を参照されたい」(第二の2(5))とされ,行政実務もこ
れにしたがって運用されていた。(甲3,20,乙7)

   エ被爆者援護法(以下,同法と原爆二法を一括するときは「原爆三法」と
いう。)は,原爆二法を一本化したものであって,附則4条2項により,
施行日(平成7年7月1日)前に原爆医療法3条によって交付された被爆
者健康手帳は被爆者援護法2条によって交付された被爆者健康手帳とみな
し,また,附則11条1項により,施行の際現に原爆特別措置法に基づい
て健康管理手当等に関する認定を受けている者は被爆者援護法に基づく同
様の認定を受けた者とみなし,さらに,附則13条により,平成7年6月
分以前の月分の原爆特別措置法による健康管理手当等の支給については従
前の例によるものとしている。そして,被爆者援護法も,上記ウと同様の
運用がなされていた(甲3,20)。

  (2)本件の経緯

   ア 原告は,昭和5年3月6日に出生し,昭和20年8月当時,長崎市内に
居住して,学徒動員により同市小菅町の勝廓寺にあった工場事務所で作業
に従事していたが,同月9日,長崎市に投下された原子爆弾によって被爆
した。(甲18,原告)

   イ 原告は,昭和32年6月14日,原爆医療法に基づいて被爆者健康手帳
の交付の申請をし,そのころ,同手帳の交付を受け,さらに,昭和48年
ころ,原爆特別措置法に基づいて健康管理手当の支給認定を受け,以後,
支給認定が繰り返され(原爆特別措置法5条3項参照),平成6年3月,
支給期間を平成6年4月から平成11年3月までとする健康管理手当の支
給認定を受け,被告長崎市長から同手当の支給を受けていた。(甲1,1
5,18,乙15,弁論の全趣旨)

   ウ 原告は,平成6年8月から平成10年7月までの間,日本語教官として
中国ハルピン市の大学に赴任し,中国国内に居住したが,その間の日本国
からの出国及び日本国への帰国の状況は以下のとおりである。(甲12,
18,原告,弁論の全趣旨)
   @平成6年8月25日出国
    平成7年1月15日帰国
   A平成7年2月23日出国
    平成7年7月10日帰国
   B平成7年8月25日出国
    平成8年7月17日帰国
   C平成8年8月23日出国
    平成9年1月17日帰国
   D平成9年2月21日出国
    平成9年7月16日帰国
   E平成9年8月25日出国
    平成10年1月23日帰国
   F平成10年2月23日出国
    平成10年7月20日帰国

    エ 原告は,上記ウ@の出国をするにあたり,平成6年8月20日,被告長
崎市市民生活部市民課(以下「市民課」という。)に転出届を提出したが,
これに基づいて異動リストが作成され,同リストは,市民課の担当職員か
ら被告長崎市原爆被爆対策部援護課(以下「援護課」という。)の担当職
員に送付された。その情報に基づき,被告長崎市長は、原告の健康管理手
当の支給を同年10月分から打ち切り,以後,平成7年7月分まで支給し
なかった。(甲11,15,16,18,乙12,14,15,原告)

    オ 原告は,平成7年7月10日に一時帰国したが(上記ウA),その際,
健康管理手当の支給が打ち切られていることを知り,改めて被爆者援護法
に基づく申請をし,同月17日,被爆者健康手帳の交付を受け,そのころ,
健康管理手当の支給認定を受けた。これに基づき,被告長崎市長は,原告
に対して平成7年8月分から健康管理手当の支給を開始し,同手当の支給
は現在に至るまで継続して行われている。なお,原告が平成9年7月30
日に長崎県南高来郡愛野町への転出届を被告長崎市に提出したため,同年
9月分からの健康管理手当は長崎県知事が支給し,平成13年7月24日,
原告が再び長崎市内に転入したため,同年8月分からの健康管理手当は被
告長崎市長が支給している。(甲1,11,13,14,16,18,乙
12,15,原告)

    カ 法令による健康管理手当の支給額は,平成6年10月から平成7年3月
までは月額3万3300円,同年4月から平成10年3月までは月額3万
3530円である(乙15)。したがって,原告が本件請求で支私いを求
めている平成6年10月分から平成7年7月分までの健康管理手当の合計
額は.33万3920円で,原告が本件請求で返還義務の不存在確認を求め
ている平成7年9月分から平成9年1月分までの既支給の健康管理手当の
合計額は57万0010円である。


2 争点

  (1)原告が昭和32年6月14日付け申請に基づく被爆者健康手帳の交付によ
って取得した「被爆者」たる地位が,原告の平成6年8月25日の出国によ
って消失していないことの確認を求める訴えは,確認の利益があるか。

   (被告らの主張)
原告の「被爆者」たる地位が出国によって消失していないことの確認を求
める訴えは,過去の法律関係の確認を求めるものであり,現在の法的紛争の
解決にとってより適切である等の特段の事情もないから,確認の利益がない。

   (原告の主張)
原告に対してなされた被爆者認定及び健康手帳の交付決定は,原告が生存
する限り,どこにいようと効力が存続する。被告らが主張する個別請求では,
請求限りでしか判決の既判力はない。原告が将来出国した場合,被告らが出
国による権利喪失の取扱いを続ける限り,何度も個別請求を余儀なくされ,
紛争の根本的,一回的な解決はできない。原告の出国による被爆者たる地位
が消滅しないことの確認判決によってしか,紛争の根本的,一回的な解決は
はかられない。被告らは過去の法律関係の確認というが,消失していないこ
との確認を求めているのだから,被爆者たる地位の存続確認を求めているの
であって,過去の法律関係の確認ではない。

  (2)未支給の健康管理手当の支払いを求める訴え及び既支給の同手当の返還義務不存在確認を求める訴えについて,被告長崎市長に被告適格があるか。

  (被告長崎市長の主張)
被告長崎市長は,健康管理手当をめぐる権利義務関係の主体としての地位
を有する者ではない。そして,実体法上の権利義務の主体ではない行政庁を
被告とすることができるのは特別の規定がある場合に限られるところ,未支
給の健康管理手当の支払いを求める訴え及び既支給の同手当の返還義務不存
在確認を求める訴えについてそのような規定はなく,被告長崎市長に被告適
格はない。

  (3)原告は出国によって健康管理手当の受給権を失ったか(原告には出国後に
受給した健康管理手当を返還する義務があるか)。

   (被告らの主張)
原爆三法は,以下に述べるとおり,日本国内に居住も現在もしていない被
爆者(以下,このような被爆者を「在外被爆者」という。)には適用されな
いから,目本国から出国した被爆者は,「被爆者」たる地位を当然に失い,
健康管理手当を受給することもできなくなる。

   ア給付内容

    @原爆医療法は,被爆者に対して援護を行うことを内容とする法律であ
り,同法2条にいう「被爆者」たる地位は,同法に基づく援護を受ける
前提として付与される地位であるから,同法に基づく援護をまったく受
け得ないとされている者に対して「被爆者」たる地位のみを付与すると
いうことはあり得ない。そして,被爆者が原爆医療法に基づいて受け得
る唯一の援護である医療給付は,日本に居住又は現在する者のみに対し
て支給されることとなっており,在外被爆者が同法に基づく医療給付を
受けることは法律上不可能である。したがって,在外被爆者は同法の適
用対象者ではない。

    A 原爆特別措置法は,原爆医療法の適用対象者のみに適用されることが
明文をもって規定されており,また,被爆者援護法は,原爆二法をその
まま引き継いだ後継法であるから,原爆医療法の適用対象者でない在外
被爆者に原爆特別措置法及び被爆者援護法が適用される余地はない。
    B 原爆特別措置法及び被爆者援護法に基づく各種手当の支給は,医療給
付のみでは援護の措置として十分ではないと判断される者に対して,補
完的・上乗せ的に支給されるものとして法律上位置づけられているから,
在外被爆者に原爆三法が適用されるとして,医療給付の支給対象者から
除外されている者に各種手当の支給のみを行うことは,原爆三法の給付
体系に反する。

   イ給付機関
原爆三法は,「被爆者」に対して各種給付等を行う給付機関を,当該被
爆者のその時点における居住地又は現在地によって決するとの制度を採用
しており,被爆者が被爆者健康手帳の交付申請等をする機関も,被爆者に
対して各種手当を支給する機関も,被爆者の居住地又は現在地の都道府県
知事であると規定している。このように,原爆三法は,「被爆者」が常に
いずれかの都道府県知事の管轄内に居住又は現在していることを当然の前
提とし,在外被爆者に対する給付機関をまったく定めていないが,「被爆
者」に対して各種給付を行う機関の定めは,財政上の負担を第一次的にど
の行政機関に負わせるかを決定し,また,「被爆者」に対する給付事務を
どの行政機関に分掌させるかを決定するために必要不可欠な法律事項であ
るから,このような行政組織法上必要不可欠な規定が欠缺しているという
ことは,在外被爆者に対する給付事務がそもそも法律上存在していないこ
との証左である。

   ウ立法者意思
原爆特別措置法及び被爆者援護法は,在外被爆者に対して適用しないこ
とを前提に国会で可決・成立している。特に,被爆者援護法は,在外被爆
者に対して適用すること等を内容とする日本共産党による修正案を否決し
て可決・成立したのであり,かかる審議経過からすれば,在外被爆者に対
して被爆者援護法を適用しないという立法者意思は極めて明白である。

   エ法的性格
原爆三法は,非拠出制の社会保障法としての性格を有しているところ,
非拠出制の社会保障において,社会連帯の観念を入れる余地のない海外居
住者への適用を認めるのは極めて例外的な立法政策であるから,在外被爆
者に対する給付を認める明文規定がない原爆三法が,在外被爆者に対する
給付を認める立法政策を採っているとは解し得ない。原爆三法の制度の根
底に国家補償的配慮があることは否定できないとしても,そのことから何
らかの適用範囲が当然に導かれるものではない。むしろ,各種申請時に日
本に居住も現在もしない被爆者を明文をもって適用対象外としていること
からすると,原爆三法は,被爆経験を有する者全員を無条件に適用対象者
としているものではなく,被爆者の居住地又は現在地によって適用の有無
を区別するという立法政策を採っていることが明らかである。他の戦争被
害者に対する政策との均衡からしても,何ら明文規定のない在外被爆者ま
でも適用対象とする趣旨とは考えられない。

   (原告の主張)
原爆三法は在外被爆者にも適用される。

   (4)原告の健康管理手当の受給権は時効消滅したか。

    (被告らの主張)
    ア 仮に,日本国内に居住又は現在しない原告に健康管理手当の受給権があ
ったとしても,本件請求にかかる平成6年10月分から平成7年7月分ま
での健康管理手当については,原告は,それぞれの支給時期において,不
支給となった同手当の支払いを求めて直ちに権利行使することが可能であ
ったから,被告国との関係においては会計法30条後段により,被告長崎
市との関係においては地方自治法236条1項後段により,その請求権は
時効消滅した。

    イ 民法166条1項にいう「権利ヲ行使スルコトヲ得ル時」とは,権利を
行使するについて法律上の障害がなくなったときのことをいい,事実上の
障害はこれに含まれない。そして,行政の取扱いや大阪地裁平成1'3年6
月1日判決以前の裁判例が在外被爆者に原爆三法の適用を排除していたこ
とは,権利を行使するについての事実上の障害に過ぎず,法律上の障害に
はなり得ない。

    ウ会計法30条後段の消滅時効は同法31条1項により,地方自治法23
6条1項後段の消滅時効は同条2項により,いずれも時効の援用を要さな
いとされているから,援用権濫用の主張は主張自体失当である。

   (原告の主張)
    ア 行政が,法の明文もなく,解釈によって権利や法的地位を喪失させ,被
爆者の請求権行使の途を閉ざしている場合には,確定判決で行政の解釈運
用が否定されて始めて権利が確定するのだから,時効は判決確定日から進
行する。

    イ 本件において消滅時効を援用するのは援用権の濫用である。


  (5)被告国及び被告長崎市は原告に対して国賠法1条1項に基づく損害賠償義
務を負うか。

   (原告の主張)
被告国及び被告長崎市は,以下の理由により,原告に対して国賠法1条1
項に基づく損害賠償義務を負う。

    ア 被告長崎市の市民課は,原告が平成6年8月20日に転出届を提出した
ことを,故なく同被告の援護課に秘密漏洩したものであり,このことは,
権力を濫用し,原告のプライバシーを重大かつ組織的に侵犯したことに帰
し,不法行為となる。

    イ 被告国及び被告長崎市は,故意又は過失により被爆者援護に関する法令
の解釈・運用を誤り,出国によって被爆者の地位を喪失させることとし,
そのことを事前に周知させることも事後に通知することもしない一方的取
扱いをしてきた。

    ウ その取扱いのなかで,原告が被告長崎市の市民課に中国赴任の為の出国,赴任中の不在の取扱いの相談に赴いたのに対し,転出届を指導して提出さ
せた。原告の出国は中国赴任の為の限定された期間で,自宅は長崎市に残
置して出国するだけであるから,原告の生活の本拠たる住所は従前と変わ
らず,被告の転出届提出の指導,届出受理もまた誤ったものであった。

    エ 援護課は市民課からの転出者通知だけで被爆者の地位喪失扱いをした。実際に出国の事実確認をすることは全くしていない。

    オ 被告らは,帰国後の受給再開に新たに手帳交付申請,手当支給認定申請
を必要とする誤った取扱いをした。被爆者健康手帳は被爆者認定の証明書
であって,被爆者認定処分の効力は出・入国の事実によって消長をきたす
ものではなく,その死亡まで存続する。また,手当支給認定処分の効力は,
出入国の事実によって消長をきたすものではなく,定められた期間存続す
る。にもかかわらず,新たな申請を要件とし,しかもこのことを被爆者に
周知徹底もしていない。被告らは新たな申請というが,実際には申請さえ
すれば何らの審査をせず,手帳及び手当支給認定証書を発布している。不
当な手続的障壁を法的根拠なく上乗せしている。

   (被告国及び被告長崎市の主張)
本件において,被告長崎市の市民課担当職員が,原告の異動情報の記載さ
れた異動リストを同被告の援護課担当職員に交付した行為は,住民基本台帳
法3条2項に基づくものであって何ら違法な行為ではない。




第3 争点に対する判断

 1 争点(1)について

上記第1の1(1)の,原告の「被爆者」たる地位が平成6年8月25日の日本
出国によって消失していないことの確認を求める訴えは,その請求の趣旨の文
言上,過去の法律関係の確認を求めるものであることは明らかである。そして,
過去の法律関係であっても,それを確定することが現在の法律上の紛争の直接
かつ抜本的な解決のために最も適切かつ必要と認められる場合には,その存否
の確認を求める訴えは確認の利益があるものとして許容されるのであるが(最
高裁昭和47年11月9日判決・民集26巻9号1513頁,同平成7年3月
7日判決・民集49巻3号893頁参照),「被爆者」たる地位が日本出国に
よって消失していないことは,もっぱら,その者が原爆三法に基づく各種給付
を受け,あるいは,既に受けた給付の返還を請求されないことの前提としての
意味を有するに過ぎず,そのような過去の法律関係を確認すること自体が現在
の法律上の紛争の直接的な解決のために最も適切かつ必要であるとは考えがた
い。したがって,上記訴えに確認の利益があるということはできない。

 2 争点(2)について

被告長崎市長は,行政機関のひとつであって,そもそも権利義務の帰属主体
とはなり得ないから,同被告には未支給の健康管理手当の支払いを求める訴え
及び既支給の同手当の返還義務不存在確認を求める訴えについて被告適格はな
く,同被告に対する上記各訴えは不適法である。

 3 争点(3)について

  (1)原爆医療法は,同法の適用を受ける「被爆者」を同法2条各号のいずれか
に該当する者で被爆者健康手帳の交付を受けた者とした上,被爆者健康手帳
の交付の申請先を申請者の居住地又は現在地の都道府県知事(前記第2の1
のとおり,広島市又は長崎市においては市長)とし,知事又は市長は申請者
が同法2条各号のいずれかに該当すると認めるときはその者に被爆者健康手
帳を交付するとしており(同法3条1項,2項),少なくとも,被爆者健康
手帳の交付申請をする際には申請者が日本国内に居住又は現在することを前
提としているものと解される。ところが,いったん「被爆者」たる地位を取
得した者が,日本国内に居住も現在もしなくなった場合に,「被爆者」たる
地位を当然に失うか,すなわち,日本国内に居住又は現在することが被爆者
健康手帳交付決定の効力存続要件であるかについて,明文の規定はなく(こ
れに対し,児童手当法4条1項,児童扶養手当法4条2項,3項,特別児童
扶養手当等の支給に関する法律3条3項,4項は,日本国内に住所を有する
ことを支給要件とする旨規定する。),原爆医療法の解釈上,いかに解すべ
きか検討することが必要となる。

  (2)立法趣旨

   ア 原爆医療法は,その目的を「広島市及び長崎市に投下された原子爆弾の
被爆者が今なお置かれている健康上の特別の状態にかんがみ,国が被爆者
に対し健康診断及び医療を行うことにより,その健康の保持及び向上をは
かること」(同法1条)とし,「被爆者」への健康管理手当等の支給を規
定する原爆特別措置法は,その目的を「広島市及び長崎市に投下された原
子爆弾の被爆者であって,原子爆弾の傷害作用の影響を受け,今なお特別
の状態にあるものに対し,医療特別手当の支給等の措置を講ずることによ
り,その福祉を図ること」(同法1条)とし,さらに,原爆二法の後継法
たる被爆者援護法は,その前文に,「広島市及ぴ長崎市に投下された原子
爆弾という比類のない破壌兵器は」「たとい一命をとりとめた被爆者にも,
生涯いやすことのできない傷跡と後遺症を残し,不安の中での生活をもた
らした。」そこで,「国の責任において,原子爆弾の投下の結果として生
じた放射能に起因する健康被害が他の戦争被害とは異なる特殊な被害であ
ることにかんがみ,高齢化の進行している被爆者に対する保健,医療及び
福祉にわたる総合的な援護策を講じ,あわせて,国として原子爆弾による
死没者の尊い犠牲を銘記するため,この法律を制定する」と規定している
上,同法の国会審議において,厚生大臣が,被爆による「健康上の障害に
ついては,直後の急性原爆症に加えて白血病やあるいは甲状腺がん等の晩
発障害があるなど,一般戦災による被害に比べ,また際立った特殊性を持
った被害であると考えております。こうしたほかの戦争被害と異なる原爆
放射能による被害の特殊性にかんがみ,」同法を制定する旨を答弁してい
ること(乙9の14頁)に照らすと,原爆三法は,被爆者の健康上の障害
が一般の戦争被害者と比較して特異かつ深刻なものであるとの認識のもと
に制定されたものであって,その根底には国家補償的配慮があるものと解
される(最高裁昭和53年3月30日判決・民集32巻2号435頁参
照)。そして,原爆三法が,軍人軍属等の公務上の戦争被害に関する戦傷
病者戦没者遺族等援護法(同法11条2号,3号,14条1項2号,24
条等)及び戦傷病者特別援護法(同法4条3項,6条1項等)と異なり,
あえて国籍要件を定めず,内外国人を問うことなく援護の対象者としたこ
とをも併せ考えると,原爆三法の解釈にあたっては,在外被爆者のみに不
利益となるような限定的な解釈はすべきでないと解する。

   イ 法的性格
被告らは,原爆三法は,非拠出制の社会保障法としての性格を有してい
るし,他の戦争被害者に対する対策との均衡からしても,明文規定がない
限り在外被爆者には適用されないと主張する。
 しかしながら,非拠出制の社会保障法と一般的抽象的にいってみても,
その内容が一義的に明らかになるわけではなく,その適用対象については,
それぞれの法令に応じて個別的に判断すべきものであって,原爆三法が非
拠出制の社会保障法としての性格を有しているとしても,そのことから直
ちに,明文規定がない限り在外被爆者には適用されないとの結論を導くこ
とはできない。また,他の戦争被害者に対する対策との均衡の点について
も,原爆三法が一般の戦争被害者と区別して特に被爆者を援護しているこ
とは上記アのとおりであるが,これが例外的な制度であるからといって,
直ちに,原爆三法を在外被爆者に適用するためには明文の規定が必要であ
るとはいえない。

    ウ 立法者意思
被告らは,原爆三法における立法者意思はこれらの法律を在外被爆者に
は適用しないというものであったと主張する。
しかしながら,立法者意思という概念そのものがあいまいなものである
ことにかんがみると,法令の解釈にあたっては,まず,法の客観的な意味
内容を理解するように努めることが基本であって,立法者意思はあくまで
参考にとどまると解され,このことは原爆三法の解釈にあたっても同様と
いえる。その上,証拠(乙6,9ないし11)によれば,確かに,原爆三
法の立法過程において,在外被爆者にかかわる討議はなされているものの,
それらは,本件で問題とされている「いったん「被爆者」たる地位を取得
した者が,日本国内に居住も現在もしなくなった場合に,「被爆者」たる
地位を当然に失うか。」という点を議論の対象としているものではない。
したがって,被告らの上記主張は採用できない。

  (2)給付内容

在外被爆者は,原爆医療法上,実際には医療給付を受けることはできない
のであるが,再度入国すればこれが可能になるのであるから,同法が在外被
爆者には適用しないとの立法政策をとったと断定するまでの根拠は乏しい。
また,原爆二法又は被爆者援護法の適用にあたって,医療給付と各種手当の
支給がいずれも実施されることは望ましいことであるし,被爆者援護の制度
趣旨にかなっていることではあるが,さらに進んで,これらの法律が,事実
上医療給付が受けられない被爆者に対して各種手当の支給も否定していると
まで解する根拠はない。

  (3)給付機関

被告らは,原爆三法は,在外被爆者に対して各種給付等を行う給付機関を
まったく定めていないとして,在外被爆者に対する給付事務はそもそも法律
上存在していないと主張する。
しかしながら,原爆三法は,医療給付は厚生労働大臣(平成13年1月6
日の省庁再編前は厚生大臣)が行うとし(原爆医療法7条1項,14条1項,
14条の2第1項,被爆者援護法10条1項,17条1項,18条1項),
各種手当の給付については,いったんは都道府県が支弁するものの,その費
用は国が当該都道府県に交付するものとしていること(原爆特別措置法10
条1項,2項,被爆者援護法42条,43条1項)からすると,本来,これ
らの事務は国の事務であるが,専ら受給者である被爆者の便宜を図るために
都道府県知事を実施機関としたものと解される。したがって,原爆三法上,
被告ら主張のような規定が欠けていることを過大視すべきでなく,それによ
って在外被爆者への不適用をも意図しているものとは解されない。

  (4) 以上によると,原爆医療法上,いったん「被爆者」たる地位を取得した者
が日本国内に居住も現在もしなくなった場合に「被爆者」たる地位を失うと
の解釈には,特段の実質的・合理的理由はないといわざるを得ず,むしろ,
そのような場合であっても「被爆者」たる地位を失わないと解釈するほうが
前記の立法趣旨にも適っているというべきである。したがって,原告は,出
国により日本国内に居住も現在もしなくなってからも,「被爆者」たる地位
を失わず,引き続き健康管理手当の受給権を有していたものである。

  (5) そうすると,原告には,既支給の平成7年9月分から平成9年1月分まで
の健康管理手当合計金57万O010円を被告国及び被告長崎市に対して返
還する義務はなく,一方,未支給の平成6年10月分から平成7年7月分ま
での同手当合計33万3920円の受給権がある(消滅時効の点は後に判断
する。)。そして,平成11年法律第87号(平成12年4月1日施行)に
よる改正前の地方自治法148条2項の別表三には,機関委任事務として原
爆特別措置法及び被爆者援護法に基づく各種手当等の支給が掲げられており,
当時,上記支給にかかわる事務は都道府県知事(広島市又は長崎市について
は市長)が被告国の機関として管理執行を行っていたものであって,当該事
務の効果は被告国に帰属すると解されるから,上記未支給の健康管理手当に
ついては,被告国においてその支払義務を負い、被告長崎市はこれを負わな
いというべきである。



 4 争点(4)について

被告国は,未支給の健康管理手当について時効消滅したと主張するので検討
する。以上述べたとおり,原爆三法は在外被爆者にも適用されるものと解すべ
きであるが,被告国においては,昭和49年7月22日に厚生省公衆衛生課長
により発せられた402号通知によって,在外被爆者には原爆三法が適用され
ないとの解釈を示し,これに従って行政実務を運用してきたものであって(上
記第2の1(1)ウ,工),そのことが主たる要因となって在外被爆者の権利行使
が妨げられていたと言わざるを得ない。このような事情に照らすと,被告国が
上記未支給の健康管理手当についてその消滅時効を主張することは,権利の濫
用として許されないものとするのが相当である(原告は援用権の濫用を主張す
るが,この趣旨を含むものと解する。)。


 5 争点(5)について

  (1)市町村の住民に関する事務は,住民基本台帳に基づいて処理され(住民基
本台帳法1条),また、市長村長その他の市町村の執行機関は、住民基本台
帳に基づいて住民に関する事務を管理し,又は執行しなけれぱならない(同
法3条2項)のであるから,長崎市内に居住関係を有する「被爆者」に関す
る事務を住民基本台帳に基づいて行うことは,そもそも住民基本台帳法が要
求するものといえる。そして,原告からの転出届を受理した市民課担当職員
は,住民基本台帳法3条2項に基づいてこれを援護課に伝達することを,地
方公務員法32条(法令等及び上司の職務上の命令に従う義務)により義務
付けられているのであるから,市民課担当職員が上記転出の情報を援護課に
提出したことをもって違法ということはできない。

  (2)原告は,その他にも,上記第2の2(5)の(原告の主張)イないしオのとお
り主張するが,その論旨は多岐にわたり何をもって違法な行為と主張するの
か判然とせず,違法行為の特定がない以上,主張自体失当といわざるを得な
い。



第4 結論

  以上によると,本件の結論は以下のとおりである。

 1 原告の被告らに対する訴えのうち,原告が原爆医療法に定める被爆者健康
手帳の昭和32年6月14日付け申請にかかる交付によって取得した「被爆
者」たる地位が,原告の平成6年8月25日付け日本出国によって消失して
いないことの確認を求める部分,及び原告の被告長崎市長に対するその余の
訴えはいずれも不適法である。

 2 被告国に対する未支給の平成6年10月分から平成7年7月分までの健康
管理手当合計33万3920円及びこれに対する支給日経過後の平成7年8
月1日から支払済みまで民法所定年5分の割合による遅延損害金の支払いを
求める請求は理由がある。なお,仮執行宣言は相当でないからこれを付さな
い。

 3 被告国及び被告長崎市との間で,原告には,原告が被爆者援護法(請求の
趣旨では,原爆特別措置法と記載されているが,被爆者援護法が正しい。)
に基づいて平成7年9月から平成9年1月まで支払いを受けた健康管理手当
合計金57万0010円を同被告らに返還する義務がないことの確認を求め
る請求は理由がある。

 4 原告の被告国及び被告長崎市に対するその余の請求はいずれも理由がない。



(口頭弁論終結の日・平成14年12月3日)

長崎地方裁判所民事部
   裁判長裁判官 川久保政徳,
       裁判官 平野淳
       裁判官 橋本健


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