平成18年9月26日判決言渡し
広島地方裁判所 平成17年(行ウ)第6号
三菱元徴用工・被爆者健康手帳申請却下処分取消等請求事件


      判決要旨

第1 主文の要旨

 1 原告李相Yの,広島県知事がした被爆者健康手帳交付申請却下処分の取消し
  を求める訴え(後記請求1の請求に基づく訴え)は,これを却下する。
 2 原告李相Yのその余の請求及び原告朱在詰の請求をいずれも棄却する。

第2 事案の概要
   原告李相Y(以下「原告李」という。)は,広島県知事が原告李からの被爆
  者健康手帳交付申請を却下する処分(以下「本件処分(1)」という。)をしたの
  は違法であるとして,同処分の取消しを求めるとともに,厚生労働大臣等が海
  外からの手帳交付申請を可能とする措置を講じなかったこと,このような取扱
  いに従い広島県知事が当該処分を行ったことは国家賠償法1条1項の違法行為
  に当たるとして(共同不法行為),被告国及び被告広島県に対し,慰謝料等の
  損害賠償を求めた。
   原告朱在詰(以下「原告朱」という。)は,厚生労働大臣等が海外からの健
  康管理手当認定申請を可能とする措置を取らなかったこと,このような取扱い
  に従い広島市長が原告朱の被相続人朱昌輪からの健康管理手当認定申請を却下
  する処分(以下「本件処分(2)」という。)をしたことは国家賠償法1条1項の
  違法行為に当たるとして(共同不法行為),被告国及び被告広島市に対し,慰
  謝料等の損害賠償を求めた。

第3 判断の要旨

 1 本案前の争点(本件処分(1)の取消請求についての訴えの利益の有無)について

   原告李は,平成17年9月27日,長崎市長から被爆者健康手帳の交付を受
 けており,同手帳の交付については,認定の申請をした日によって影響を受け
 るような法的効果は発生しないため,仮に原告李に対する申請却下処分が判決
 によって取り消され,広島県知事が原告李に対し改めて被爆者健康手帳を交付
 したとしても,原告李が既に長崎市長から被爆者健康手帳の交付を受けた以上
 に新たな法的利益を得られることはない。したがって,訴えの利益を欠き,不
 適法なものとして却下を免れない。

2 争点(2)(本件処分(1)に関する厚生労働大臣等及び広島県知事の違法行為の成
 否,故意・過失の有無)について

 被爆者援護法は,社会保障の趣旨からだけでなく,国家補償の趣旨からも,
 原爆による健康被害に苦しむ被爆者を広く救済することを目的としているもの
 と解され,その解釈に当たっては,このような法の趣旨を十分に尊重しなけれ
 ばならない。
  しかし,被爆者健康手帳の交付申請について,同法2条1項は,「被爆者
 健康手帳の交付を受けようとする者は,その居住地(居住地を有しないとき
 は,その現在地とする。)の都道府県知事に申請しなければならない。」と
 規定しており,健康管理手当等を申請する場合(単に「都道府県知事」と規
 定しており,居住地又は現在地の都道府県知事であることを求めていない。)
 とは異なった規定の仕方をしていること,過去に被爆者健康手帳の不正取得が
 多発し,それを防止するために,被爆者健康手帳の交付申請手続は本人申請及
 び本人への直接面接を原則としたという経緯があったこと,被爆者健康手帳の
 交付が健康管理手当等の支給の前提となる重要な手続であることからすれば,
 被爆者健康手帳の交付申請について,健康管理手当の認定申請等と異なり,日
 本国内に居住又は現在することを要件とすることには一定の合理性がある。以
 上の各点を総合勘案すると,上記のような法の趣旨を考慮しても,被爆者健
 康手帳の交付を申請する者は,日本国内に居住又は現在する必要があると解
 せられる。
  そうすると,本件処分(1)当時原告李は日本国内に居住せず,現在もしなか
  ったから,本件処分(1)に関する厚生労働大臣等の行為及びそれに従って広島
  県知事がした本件処分(1)は,いずれも違法行為とはいえない。

3 争点(3)(本件処分(2)に関する厚生労働大臣等及び広島市長の違法行為の成否,
 故意・過失の有無)について

 改正前の被爆者援護法施行規則52条は,被爆者が健康管理手当の認定申請
 をするには日本国内に居住又は現在することを要する旨定めていた点で,法の
 文言や法の趣旨に照らし,法の委任の範囲を逸脱した違法無効なものであった
 と解せられる。
 しかし,被爆者援護法の前身である旧原爆二法(原子爆弾被爆者の医療等に
 関する法律及び原子爆弾被爆者に対する特別措置に関する法律)の施行規則は,
 健康管理手当の認定申請は居住地の都道府県知事にしなければならないと規定
 しており,同規定に従った運用がされてきたこと,被爆者援護法立法当時の国
 会審議において,在外被爆者からの認定申請について特に審議されないまま旧
 原爆二法と同様の規定を有する被爆者援護法が成立し,同時に同法施行規則も
 制定され,以降これに従った運用がなされてきたこと,平成14年12月5日
 大阪高裁判決(被爆者たる地位は当該被爆者が日本に居住も現在もしなくなる
 ことにより当然に失われるものではないとして,在外被爆者への健康管理手当
 の支給を命じたもの)においても,健康管理手当の認定申請については,日本
 に居住又は現在するを要する旨判示していたこと,本件処分(2)当時,上記のよ
 うな解釈を否定した裁判例は平成16年9月28日長崎地裁判決のみであり,
 これについても控訴審で審理中であったことからすれば,厚生労働大臣等が,
 本件処分(2)当時,施行規則52条が適法であると認識し,これを改正する等の
 上記義務を履行しなかったことには,当時の状況下において,無理からぬ面が
 あったといえるから,これについて厚生労働大臣等に過失があったとまではい
 えない。
  また,広島市長は,法定受託事務として,健康管理手当の認定事務を行うも
 のであったから,上記行政事務の準拠法令である施行規則52条に従って同事
 務を行わなければならず,これに反して在外被爆者からの認定申請を受理する
 ことは,法令上許されないことであった。したがって,施行規則52条が違法
 であったとしても,このことから直ちに本件処分(2)を行った広島市長に過失が
 あったということはできない。
  行政庁が行政事務を行うに当たって準拠すべき規則が明らかに法律に違反す
 ると判断できる等の特段の事情が認められる場合には,当該規則に従った行政
 事務であっても,その行為は国家賠償法上の過失に基づく違法行為に当たると
 いえる場合があると解せられるが,上記の事情をかんがみれば,そのような特
 段の事情は認められない。